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理系のためのロジカル交渉術
〜理系+αで広げる・広がるキャリアvol.6 信頼関係を築く戦術とテクニック〜
「理系+αで広げる・広がるキャリア」では1回目は英語、2回目はコミュニケーション、3回目は理系リーダーのコミュニケーション、4回目は問題解決力、5回目はマーケティングスキルと皆さんのキャリアが広がるスキルをいろいろとご紹介してきました。6回目の今回は交渉力を取り上げたいと思います。交渉力というと、一見すると研究や開発といった理系の仕事からは距離があるような印象を受けるかもしれませんが、研究資源の確保、他部署との調整、期限などのスケジュールの調整、共同研究先との役割分担など、立場や職種に関係なく、交渉の力が問われる場面は少なくありません。開発の納期を延長したり人員を確保するなど、皆さんも日々さまざまな交渉を行っているかと思います。今回は、そうした理系の皆さんにこそ役立つ交渉の基本や実践的なスキルをご紹介したいと思います。
そもそも「交渉力」とは?
交渉力というと、皆さんはどんなイメージを持ちますか?
かつて私は、交渉というのは「自分の好ましい方向に相手を説得させる勝負事」のようなものと考えていました。
しかし、大学院で学んでいたころ、「効果的な交渉力」(Effective Negotiation)という授業を受け、交渉力とは、「利害関係のある相手と“お互いが納得できるゴール”を目指して話し合う力」だと学びました。たしかにビジネスの場面では、どちらかに不満が残るようでは、長期的な信頼関係は築けません。どちらの要求を押し通すかではなく、お互いにとってのWin-Winを目指すという考え方は、自分にとって目からウロコの体験となりました。また、そんな考え方を知ってからは、交渉がそれほど気が重いものではなくなりました。
まずはぜひ、皆さんにも同じように、交渉力を「対決の武器」としてではなく「合意を築く力」として、前向きに捉えていただきたいと思います。
交渉の場面
交渉というと、緊迫した場面をイメージしがちですが、実際には皆さん、意識せずともさまざまな場で日々交渉を行っています。例えば、上司と目標設定の面談をする際には、お互いが納得するゴールを設定しますし、顧客からクレームが来た際には、顧客が納得し自社としても妥協できる解決案を目指します。また、プライベートでも、夕飯をどこで食べるか妻または夫と話し合うのも、交渉の1つでしょう。
交渉についての参考書籍ですが、以下はハーバード大学交渉学研究所のメインスタッフが開発・構築した書籍で、現在多く出版されている交渉術の理論のベースとなっているものです。
ハーバード流“No”と言わせない交渉術 / ユーリー・ウィリアム【著】
また、以下の書籍はこの記事の執筆時点で英語版しかないのですが、大学でよく使われる教科書的なもので、こちらのフレームワークもとても参考になります。
Essentials of Negotiation | Lewicki, Roy, Barry, Bruce, Saunders, David【著】
交渉プロセスのフレームワーク
まずは交渉プロセス全体のフレームワークを見ていきましょう。
(1) 準備(Preparation)
上記の書籍などでも指摘されていますが、一般に「交渉が成功するかしないかの80%は事前の準備で決まっている」と言われます。まず取り組むべきなのが、交渉における「ゴール」と「BATNA(バトナ)」の設定です。
「ゴール」とは、交渉によって到達したい目標であり、同時に合意可能な最低ラインを明確化したものです。ゴールには「有形(Tangible)」と「無形(Intangible)」の2種類がありますが、この点については後ほどケーススタディのパートで解説します。
「BATNA(バトナ)」とは、“Best Alternative to a Negotiated Agreement”の略で、日本語に訳すと「交渉が決裂したときに取る最善の行動」のことです。例えば、転職活動中にA社で既に内定を取っている場合、「A社に転職する」というBATNAがあることで、B社に対してはより高い年収を要求する余裕が生まれます。BATNAが強ければ、交渉に対して、より高い要求を出すことができますので、交渉事では常にBATNAを検討しましょう。また、相手の「ゴール」と「BATNA」を事前に予測することも大事です。
(2) 関係構築(Relationship Building)
交渉プロセスに入ったら、信頼や協力の基盤を築きましょう。これはハ-バ-ド流交渉術 / フィッシャー&ユーリー【著】に記載されている「人と問題を切り離す」にもある通り、相手を敵とみなさず、信頼関係を維持しながら、お互いに問題解決に集中する前段のプロセスです。交渉をうまく進めるためには、非常に重要なステップとなります。
(3) 情報交換(Information Exchange)
ハ-バ-ド流交渉術 / フィッシャー&ユーリー【著】に記載されている「立場ではなく利益に焦点を当てる」にある通り、相手の主張よりも「なぜそれを求めるのか」を明確にしましょう。お互いの根本的なニーズを探ることで、共通点や代替案が見つかりやすくなります。このプロセスはWin-Winを目指す交渉においては、お互いの利益を理解する重要なステップです。
(4) 交渉・提案(Bargaining)
解決のための選択肢を多く上げ、「感情」や「力関係」ではなく、公平な基準に基づいて、合意しましょう。
客観的な根拠を共有することで、説得力が増し、相手も納得しやすくなります。
交渉のケーススタディ
今回は、皆さんが製品開発のプロジェクト・リーダーだと想定します。スケジュールに沿って順調にプロジェクトを進めていたところ、顧客から仕様変更の依頼が入りました。内容は機能を追加すること、スケジュール・コストは要相談ということです。開発は既にかなり進んでおり、今から機能を追加するには、スケジュール・コストとも当然増えます。そこで、プロジェクト責任者として、顧客の担当者と直接打ち合わせをすることになりました。上記の交渉プロセスのフレームワークにそって、進めてみましょう。
(1) 準備(Preparation)の実践
まずは交渉での「ゴール」と「BATNA」の設定です。まずは自社のゴールを設定しますが、ゴールというと一般的には、金額や納期などの有形(Tangible)なものを連想しますが、無形(Intangible)なものも同時に検討します。例えば、顧客との信頼関係や合意への納得感など、ビジネスで今後取引を続けるためには、人間の感情を抜きにはできません。
仮に交渉が決裂した場合のBATNAについては、例えば今回のケースですと、「当初の仕様どおり開発を完遂し、契約済みの開発費までは回収する」などが代替案となります。BATNAが明確だと、「この条件で決裂しても、自分にはこういう別の手がある」と思えるようになり、気持ちに余裕が生まれます。また、交渉相手のゴールや置かれている状況を探ることも重要ですので、担当営業の方と当日の打ち合わせメンバーの確認、発言の役割分担なども決めておきましょう。
(2) 関係構築(Relationship Building)の実践
打ち合わせがスタートしたら、まずは信頼や協力の基盤を築きましょう。あなたが既に知っている方であればいいのですが、初対面の場合、出来るだけ相手に受け入れられるような態度をとったほうが、今後の交渉をうまく進められます。打ち合わせメンバーの立場やキャラクターを事前に確認しておいたり、相手の話をよく聴くこと(アクティブリスニング)や発言に共感することなど、積極的に行いましょう。
(3) 情報交換(Information Exchange)の実践
具体的な交渉に入ったら、まずは顧客から今回の仕様変更の背景を詳しくヒアリングします。例えば、顧客の市場環境の変化・競合他社の動向による場合だとか、顧客側のシステムに想定外の制約が発生したなど、さまざまな理由があるはずです。顧客側の背景を理解することで、「お互いが納得できるゴール」により近づくことができます。
(4) 交渉・提案(Bargaining)の実践
次にその仕様変更になぜ追加コスト・スケジュールを必要とするか、出来るだけわかりやすく、論理的に説明しましょう。会議において技術部門でない方が参加する場合にも備え、納得感のあるプレゼンを準備しましょう。もしも技術的に他の代替案があれば、それも提案します。
その他の役立つフレームワーク・テクニック
交渉には他にもさまざまなフレームワークとテクニックがありますので、ぜひ使ってみて頂ければと思います。
1.バルコニーの上から状況を見よ(Go to the Balcony)
当日の打ち合わせで最も重要な点は、あなた自身が冷静になり、事前に設定した交渉のゴールを見失わないことです。打ち合わせの相手が普段から面識のある人であれば良いのですが、普段は面識のない購買部の方が、もしかしたら攻撃的な戦術をしかけてくるかもしれません。その場合にはあなたはエンジニアですので、営業の方にその対応は任せ、状況を冷静に観察し、相手の立場や背景を探ってみましょう。
2.相手を味方にせよ(Step to Their Side)
関係構築にあった通り、Win-Winを目指す交渉では、まずは相手の立場や感情をまず認めることが重要です。「理解された」と感じた相手は、防御的態度を弱めますので、その後の交渉を有利に運ぶことができます。
3.戦術を使い分けよ
交渉の場面でのテクニックは他にも多く紹介されていますが、比較的使いやすいものを以下に挙げます。状況に合わせて使い分けてみてください。
● Flattery:相手を褒めて、よい気持ちにさせる。
● Easy points:互いのこのネゴに対して直ぐに理解しあえる簡単な項目について交渉する。
● Silence:あえてこちらから情報を出さず黙ることで、相手から情報を引き出す。
● Inflated opening position:高めの金額設定、要求からはじめる。
● Oh poor me:相手がこちらのことをかわいそうだと思う状況を作る。
交渉力を身に付けるには?
自分が仕事の場で「交渉」を自覚したのは、半導体メーカでチームリーダーとなり、米国本社と仕様変更やスケジュール調整を経験していた時でした。
当時の自分は日本人の感覚で要求されたら基本的には「Yes」と言っていましたが、その結果、部下も巻き添えにして週末も働くことになり、これはマズいなと思っていました。
ある時、同じグループの同僚から「No」と言って全く問題ないと言われ、自分にとってはかなりびっくりした経験で、その後「交渉」に初めてトライしました。
例えば「A案件でそのスケジュールは無理だから他のプロジェクトを遅らせる」など代替案を掲示し、その結果、海外のメンバーとの信頼関係もより深まり、交渉することの重要性を学びました。
以下に私が心がけている交渉のポイントを3つ挙げます。
1.はっきりと「NO」の意思表示をする
上記の事例にある通り、日本人にとってはここが高い壁になるかと思います。日本語でも「善処します」など、Yes/Noどちらでもない用語がある通り、ビジネスの場面で特に「No」を伝えることは言いづらいでしょう。但し、結論を明確にしないまま、時間がずるずると経つと相手の期待値も上がりますので、出来ないことは、きちんと理由や代替案を伝えつつ、「No」を相手に伝えましょう。「Yes」には必要ありませんが、「No」には説明責任が伴いますので、しっかり準備しましょう。
2.相手視点に立ち共感力を持って要求を理解する
こちらの要望・主張と同様に、相手の要望・主張をくみ取ることが重要です。なぜ相手はこのような要求をしてくるのかの背景や立場を探ります。ここでは以前に説明したコミュニケーション力や傾聴力が重要なスキルとなります。ビジネスの場では全ての人にそれぞれの立場があり、立場上発言できないこともありますので、それも察しつつ、お互いのゴールを見つけるよう努力しましょう。
3. BATNAを考える
就活や転職活動中、初めて内定がとれるととても安心します。その後、他社を受けたとしても自分はもう内定があるから、この会社を落ちても問題ないと余裕が生まれ、次の会社の年収もより高いレベルを交渉できます。これがBATNAであり、自身の心に余裕が生まれ、相手への交渉がよりしやすくなります。
交渉相手のBATNAも考えてみましょう。顧客が仕様変更を要求した場合も、まずは自社がそれを断った場合、何が起きるのかを想像します。同様な製品を作ってくれる競合が他にあるのか、既に顧客が受注していた場合、自社に断られたら困るのは顧客ではないのかなど。交渉が決裂した場合、自分または交渉相手に何が起きるのかを考える癖をつけましょう。
以上、職場でも日々の生活でも、交渉力を学ぶ機会は多くあります。日本人には少し苦手意識があるかもしれませんが、人生にとって避けて通れないものですので、ぜひ準備をして交渉に臨んでください!
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