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高温や低温、水不足など、過酷な気候変動にも耐え、豊かに実る夢の作物。このような未来に向けて、植物分子生物学の黎明期から長年にわたり基礎研究を続けてきたのが、篠崎和子先生です。
植物は大地に根を下ろしているため、過酷な環境下でも耐えることでしか生存する道はありません。そのため、植物は気温の変化や紫外線、乾燥といった環境ストレスから身を守るために、体の中で必要な遺伝子を働かせ、対応する「環境応答機構」を備えています。
篠崎先生は長年にわたりこの分野の研究を進め、その中心的な分子メカニズムを次々と解明してきました。
これらの発見は、国内外の多くの研究者に刺激を与え、植物分野の基礎研究の発展に寄与したのはもちろんのこと、環境ストレスに強い組換え植物の創出など、世界の農業や食料問題への応用研究も進んでいます。
新技術を積極的に取り入れ、粘り強く真実を明らかにしてきた篠崎先生に、研究内容と先生を突き動かしてきたエネルギー、そして研究哲学や若手研究者へのメッセージについてお伺いしました。
DNA研究の黎明期に歩みだした研究者の道
──研究に興味を持ったきっかけを教えてください。
子どもの頃から、分からないことを探求することが好きでした。小学校3〜4年生の文集に「将来は稲の品種改良がしたい」と書いていたので、その頃には研究者になりたいと思っていたようです。身近に研究者の存在があったわけではありませんが、よく父と一緒に野山を散策したり、家で花を育てたりしていました。そういう影響があったのかもしれませんね。
──博士課程やポスドク時代の研究内容について教えてください。
高校卒業後、日本女子大学に進学をしました。当時はまだ日本女子大学に大学院がなかったため、修士課程から東京工業大学(現:東京科学大学)大学院に進学することにしました。1977年のことです。ちょうど世の中ではDNAに関する研究が始まったばかりでした。「生物の中でも特に高等生物の分子生物学の研究をしたい」と考えていましたが、まずはウイルスのDNAに関する研究を行いました。
今はDNAクローニングなど簡単にできると思いますが、当時はそもそも真核生物のDNAを扱う技術すら確立されていなかったのです。1970年代に遺伝子組換え技術が開発され、1980年代の前半に植物の遺伝子導入が可能になったような時代です。もちろんPCRもまだ無いので、当時の分子生物学というのは、ウイルスや細菌の遺伝子(DNAやRNA)を用いた研究をすることでした。
博士号を取得した後は国立遺伝学研究所を経て、名古屋大学でポスドクをしました。DNAのクローニング技術が日本に導入された頃で、名古屋大学では杉浦昌弘先生の研究室で、念願だった高等生物のDNA研究をスタートさせることができました。
アメリカで最先端の植物分子生物学を学ぶ
──植物の環境応答機構について研究するきっかけはなんだったのでしょうか?
1987年に、米国ニューヨークのロックフェラー大学に留学する機会に恵まれました。留学先は、植物分子生物学研究の世界的な大家であるナムハイ ・チュア(Nam-hai Chua)先生の研究室です。チュア先生からは「植物の花が咲くメカニズムの解明」か「植物ホルモンアブシジン酸(ABA)が植物内で働くときのメカニズムの解明」という2つのテーマを提案いただき、私は後者を選択しました。ABAは、乾燥や低温などの環境ストレスを受けた時に働く植物ホルモンです。ABAが生じると、植物中でさまざまな遺伝子が発現し、環境ストレスから身を守っていると考えられていました。しかし、その詳しい働きや仕組みは謎のままでした。この謎を解き明かせば、気候変動に強い植物を開発でき、農業に役立てるかもしれないと考え研究を開始しました。
──どのようなアプローチで研究を進めたのでしょうか?
イネに乾燥ストレスを与えるとRAB16という遺伝子が働きます。その結果、植物を乾燥から保護するタンパク質が作られ、乾燥抵抗性が備わると考えられていました。そこで、私はABAが生じてからRAB16が働くまでのメカニズムの解明に取り組みました。
ABAによって活性化された何らかの転写因子がRAB16のプロモーター領域(遺伝子の転写制御を行う領域)に結合して、RAB16が働くのだろうと仮説を立て、そのプロモーター領域のシス配列(転写因子が結合する領域)を明らかにしようと考えたのです。
遺伝子の発現量やプロモーター、転写因子に着目するのは今では当たり前ですが、当時はまだ新しい考え方でした。
一般的に生物は生存に重要な遺伝子を重複させる傾向があります。それらの遺伝子は重複のたびにDNA配列と機能が少しずつ変わることも知られています。RAB16にも4つの重複遺伝子があり、どれもABAに反応することを突き止めました。そこでこの4つの重複遺伝子が共通で持つプロモーターのDNA配列がABAのシグナル伝達に関与する重要な領域だと考え、絞り込みを行いました。
それぞれのプロモーター領域のDNA配列を調べていくのですが、当時は簡単なことではありませんでした。DNAを取り出してライブラリーを作製し、2000Vという高圧で電気泳動をして…。このようなことを毎日やっていました。ようやく、4つの遺伝子の配列を明らかにし、比較したところ、「ACGTGGC」という共通配列が浮かび上がってきました。これがシス配列ABRE(ABA Responsive Element)の発見でした。
──地道な実験の末に解明した配列だったのですね!
私にとって初めての植物遺伝子に関する大きな発見だったのですが、この話にはショックな続きがあります。研究室には、日々さまざまな方が訪問をしてきます。その方たちに研究紹介をすることもあったのですが、そこでチラッと紹介したABRE配列の情報を、ある方に先に論文にされてしまったのです。
その方は、ABAで誘導されるコムギの遺伝子について研究をしていました。ABRE配列がコムギの遺伝子にもあったので、先に発表されてしまったのです。彼らの研究していたコムギ遺伝子は1つしかなかったので、コムギの研究だけではシス配列の絞り込みは難しいはずでした。私たちも論文を出しましたが、2番目になってしまい非常に残念でした。
とはいえ、当時はまだ日本では、植物ゲノムの遺伝子1つがクローニングできただけで、論文として発表できるような時代だったんです。だからアメリカで最先端の研究に触れ、技術を身につけられたことはすばらしい経験でした。
帰国後、植物の環境応答研究が花開く
──帰国後はどのような研究を行いましたか?
帰国して理化学研究所の特別研究員となってからも、しつこくABRE配列について調べていました。また、より上流で起こっていることを知りたいと考え、乾燥ストレス下でABAが合成されるまでのメカニズムを調べようと研究を開始しました。
シロイヌナズナを用いて、乾燥ストレスを受けると働く遺伝子(乾燥誘導性遺伝子)の発現量について調べると面白いことが分かったんです。乾燥誘導性遺伝子の中には、ABAがなくても(ABA非依存的)働くものがあったのです。
ABAの存在下で働く(ABA依存的)遺伝子は、乾燥ストレスを与えてから発現量が上昇するまで1〜2時間かかりますが、ABA非依存的に発現量が上昇する遺伝子では、なんと30分以内に発現量が上昇しました。ABA非依存的な経路でも乾燥ストレス応答が起こることに強い興味を覚え、ABRE配列の研究と並行して続けることにしました。
まず、始めたのはABA非依存的な乾燥誘導性遺伝子のプロモーターのシス配列を明らかにすることです。ABA非依存的な乾燥誘導性遺伝子の1つであるRD29の遺伝子ファミリーに着目し、プロモーター配列を調べたところ、TACCGACATという共通配列を持っていることが分かり、DRE(Dehydration Responsive Element)配列と名付け1994年に論文発表しました。4年後の1998年にはDRE配列に結合する2種類の転写因子DREB(DRE Binding protain)1、DREB2を発見します。乾燥ストレス応答の中心的なプロモーター配列と転写因子を揃って解明することができ、大きな発見となりました。
ちなみに、ずっと続けていたABRE配列の方も大きな成果がありました。実はABRE配列は2つ以上ないと機能しないことが分かったんです。また完全なABRE配列ではなくてもABREと似ている配列でもよいということも分かりました。ライバルはすでにABRE配列に結合する転写因子についてもScience誌で報告していました。ただ、「それは真実なのだろうか?」と批判的に見ながら、私たちも研究を進めました。そのうち、やはり彼らの報告は間違っているということが分かり、2000年にABRE配列に結合する転写因子AREB(ABA Responsive Element Binding protein)を発見するに至りました。
これらの発見は、乾燥ストレス下で植物がABA依存的、非依存的に環境応答を行うための中心的なメカニズムを解明できたことを意味しています。複数の環境応答経路を持つことで、植物がしたたかに環境に適応しながら生存する仕組みを理解することができました。これらは、世界的にも大きな反響があり、論文の被引用回数でいうと、現在までに転写配列DREB1、DREB2を同定した最初の論文は2200回以上、転写配列AREBを報告した最初の論文は1000回以上です。
──乾燥ストレス応答の鍵となる大きな発見が続きましたね!振り返って考えると、どうしてこのような発見が可能だったのでしょうか?
1990年以降、日本へ新しい技術が次々と導入されましたが、私は一足先に留学先でクローニングや植物への遺伝子導入の方法、GASやGFPなどのイメージング技術といった当時の最先端技術を身に付けることができました。新しいタイプの遺伝子に対してこれらの新しい技術を応用していくことができたからこそ、大きな発見につながったのかもしれません。
思えば、いつも真実を明らかにしたいという気持ちに突き動かされて、さまざまな技術を学んでいました。いつも最初は他の研究者から研究技術を教わるところから始まります。学んで、それを自分の研究に合うように変えながら、研究を進めてきました。動物の研究手法が自分の研究に生きることもありました。新しい技術を自分のテーマに応用し当てはめていくことで、これまでわからなかった真実を明らかにすることができました。
激しい競争も研究を進める糧に
──激しい競争の中での研究だったと思いますが、当時の心境はどのようなものだったのでしょうか。
実は、一番最初に乾燥誘導性遺伝子を単離して植物学会で発表した時には悔しい思いもしました。発表後の質疑応答で、「乾燥ストレスを受けて、植物が死に至るまでの遺伝子の動きを見ているだけじゃないですか」と、批判もたくさん受けたんです。がっくりと肩を落として帰宅しました。遺伝子の発現に誰も注目していない時代でした。でも、研究の有用性に気がついた瞬間、誰しもが遺伝子発現について研究を始めたのです。
でも、海外との競争が激化していた時代でしたので、変なことに頭を悩ませることなく研究に没頭していきました。DRE配列を決定するときにはアメリカとスウェーデンのグループと、転写因子DREBの単離はアメリカのグループと、また転写因子AREBの単離は韓国のグループと競っていましたから。私たちが論文を出した同じ年に彼らも論文を出してきたこともありました。
でも、ライバルがいると、勝っても負けても、自分の研究が正しいかどうか確かめられるから良いですよね。正しい時は必ず競争相手がいるんです。
動けない植物の生存戦略が少しずつ明らかに
──その後、乾燥ストレス応答機構の研究はどのように進んだのでしょうか?
2000年前後以降は、遺伝子組換え変異体を作製し、AREBやDREBなどの転写因子が制御する遺伝子の機能を明らかにしていきました。
例えば、DRE配列は乾燥以外にも高塩や低温といった環境ストレスにも関与していることが分かったのですが、ストレスの種類によって、転写因子の結合の仕方が異なっていました。このことから植物が環境ストレスに応じてさまざまな遺伝子を使い分けて対応していることが徐々に見えてきたんです。その後は、マイクロアレイやRNAシークエンスなどの技術を用いて、網羅的な解析を行うようになりました。
また、転写因子DREBの発見後、さまざまな国から共同研究の申込みがありました。できるだけ受け入れようと考えて、遺伝子を送ったり、遺伝子導入した作物を作ったりもしました。それらの研究は各国の研究機関で続いており、世界の食料不足問題への応用が進んでいます。
2010年以降は、遺伝子発現の制御機構で働くタンパク質の相互作用因子について明らかにしていきました。動物と異なり植物にはタンパク質が少ないため、タンパク質に関する研究は難しかったんです。しかし、質量分析法(MS)が導入されたおかげで、微量のサンプルでタンパク質同士の相互作用を調べることができるようになりました。
これまでに、DREB1は100種類以上、DREB2は20〜30種類以上の遺伝子発現を制御する転写因子であることを明らかにしました。また、DREBやAREBの活性は多くのタンパク質リン酸化酵素やタンパク質分解系の遺伝子によって制御されていることを示してきました。植物は大地に根を張って動けないからこそ、さまざまな遺伝子をダイナミックに働かせて生きている。そうした姿が少しずつ明らかになってきたのです。
若い人たちが作る新しい学問が、世界を明らかにしていく
──理化学研究所や農林水産省などで研究を続けた後、2004年、東京大学大学院農学生命科学研究科教授になりましたが、どういったきっかけだったのでしょうか。
研究を続ける中で、後進の育成について考えるようになってきました。植物病理や作物学といった伝統的な研究室は多くあれど、植物の環境ストレス応答に関する講座はまだ少なかったんですね。この分野を発展させるためにも、新しい学生を育てることが重要だと感じたのです。私が教授になってから、100人以上の学生を受け入れ、そのうち、博士課程を修了した学生は20人くらいいます。
学生には、新しい技術を積極的に取り入れ、テーマを展開させることの重要性を伝えてきました。一方で、自分のアイデンティティーを大事にすることも重要です。今日はこれ、明日はこれ、と異なることを進めていては、いくら良いと思う仕事をしても、単発的でなかなか他の研究者からの信頼感を得ることができません。
──篠崎先生が感じる基礎研究の魅力について教えてください。
私がこれまで研究を続けてきたのは「知りたい」という尽きない好奇心があったからです。研究の結果何かが分かると、腑に落ちる楽しさもあります。でも、それで終わりではありません。もっと複雑で、もっともっと巧妙に植物たちが生きている姿が見えてくるのです。
基礎研究の成果はすぐに誰かの役に立つものではないかもしれません。しかし、どんな技術も基礎研究を基盤にしています。だから、私たちがやってきた研究も、将来、世界を変えていくような仕事になれば…。と、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、これだけ地球環境が変わってくると、役立つ時が来るかもしれないと考えています。
──研究を志す皆さんへのメッセージ
研究者を目指す方に必要な素養は、まずは研究が好きなことですが、我慢強く諦めない粘り強さも重要です。また、経験上、仕事というのは楽しい時もありますが、辛いこともあります。
でも、研究者はお金のためだけに働くのではなく、「どうしても知りたい!」「他のことよりもこれをしたい」という、自分の興味があることに打ち込めることが特権ではないでしょうか。
驚くべき速さで技術が進歩し、研究も発展しています。例えば、30年前、私が遺伝子の転写量を調べるために使っていた方法は、長く時間がかかり工程も複雑なノーザンブロット・ハイブリダイゼーション法でしたが、マイクロアレイやRNAシークエンス、ナノポアシークエンサーなど次々に技術が進歩して、さまざまなことが早く簡単に分かる時代になりました。
AIももちろんそうですが、思いも寄らない発見から新しい学問分野が生まれていく中で、植物の分子生物学も、もっと違った新しい学問になっていくのかもしれませんね。若い人たちが作る新しい学問が、世界の謎を解き明かしていくことを楽しみにしています。
篠崎和子(しのざき かずこ)
東京大学名誉教授・東京農業大学教授
1954年、群馬県前橋市出身。1977年日本女子大学家政理学科二部(現・化学生命科学科)卒業。1982年、東京工業大学(現、東京科学大学)大学院総合理工学研究科博士課程修了(理学博士)。日本学術振興会特別研究員を経て、名古屋大学遺伝子実験施設特別研究員。1987年、アメリカのロックフェラー大学へ留学(ポストドクターフェロー)。帰国後は、理化学研究所や農林水産省国際農林水産業研究センターなどで研究を続け、2004年、東京大学大学院農学生命科学研究科教授に就任。2020年に東京大学名誉教授、東京農業大学農生命科学研究所教授に就任。2023年東京農業大学理事に就任。2018年第12回みどりの学術賞を受賞、2023年「植物の環境ストレス応答と耐性獲得に関する制御ネットワークの研究」にて、夫の篠崎一雄氏と共に第113回学士院賞を受賞。
(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
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