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「デス・モード」とは、複数に配置したろうそくの炎のゆらぎがピタッと止まる状態のことを呼びます。2本のろうそくを使ってこの現象の仕組みを世界で初めて解明したのは、燃焼学が専門の豊橋技術科学大学の中村祐二教授です。実はこの研究、何かに応用するためではなく、純粋に不思議に思って始めたものだそう。そこから実際に「デス・モード」の仕組みの解明に至るまでの経緯、そして火災や災害防止に役立ちCO₂削減にも貢献する燃焼学とはどんな学問なのか。中村教授が考える基礎研究の魅力や自身の研究者としてのキャリアについても、お話を伺いました。
CO₂削減にも大きく貢献する「燃焼学」
── 現在、取り組まれている研究内容について教えてください。
中村:燃焼に関わる研究を幅広く行っています。燃焼には、エンジンの燃料のように「燃やして使う」場面と、火災や災害のように「燃えては困る」場面の2つの側面があります。両方の研究を行っていますが、主軸は後者の研究です。
たとえば、大規模火災の内部で起きていることを解明したいと思っても、実際に実験を行うことは難しい現実があります。そこで研究室内で、小規模なスケールの実験を繰り返し分析を重ね、大規模な火災での現象を予測します。
── 「燃焼学」とはどのような学問でしょうか。
中村:物が燃える現象は、化学的な変化である「反応」が起こり、それによって「熱」が発生するものです。そこにエネルギーの「流れ」も関与します。これらの要素にはそれぞれ専門の学問領域が存在しますが、燃焼学はこれら3つの領域を横断する学問です。火が点く(点ける)、拡がる、消える(消す)など、燃えている間に起こるあらゆる現象が含まれます。通常、工学部の機械系や化学系、火災に関連する場合には建築系の学科で学ぶことができます。
近年、アンモニア燃料やe-fuel(イーフューエル)※など、環境に優しいとされるカーボンニュートラルな燃料が注目されています。燃料が変わると、燃焼プロセスも変わるため、燃焼学が貢献できる分野が広がっていると考えています。
※e-fuelとは、再生可能エネルギーを使用した水の電解(electric)により得られた水素と、二酸化炭素から合成した燃料。ガソリンや軽油などの代わりとなる燃料として期待されている。
── 今後、カーボンニュートラル実現に向けて燃焼学が注目を集めそうですね。
中村:たしかに新たな燃料の開発はカーボンニュートラルの実現に不可欠です。一方で我々が忘れがちなのは、森林火災によるCO₂の排出量が非常に多いという事実です。森林火災は世界中で頻繁に発生し、全世界のCO₂排出量の約1割強を占めているにも関わらず、対策への取り組みはいまだに不十分です。燃焼学はこうした災害に対する取り組みも研究の対象にしています。
たとえば、森林火災の際には、複数のヘリコプターが大量の水を運び、消火するのが効果的です。しかし、自治体が所有するヘリコプターには限りがあり、また自治体をまたいでの協力体制にも制約があります。さらに、どの場所から消火を行うべきかなどの消火方法のノウハウは消防隊方々の経験則に頼る部分が多いのが現実です。
こうした状況のなかで、燃焼学の基礎研究が大いに役立つと私たちは考えています。たとえば、最適な消火には何台のヘリコプターが必要なのか、消火はどの位置から行うべきか。経験則だけでなく、学術的な知識をもとに提案を行うことが可能です。一方で火災防止の技術や仕組みには未開発の分野が多く、燃焼学の認知度もまだまだ高いとはいえません。今後より、燃焼学の社会的な重要性や意義を広めていく必要があると考えています。
世界で初めて解明した「炎のゆらぎ」の原理は、純粋な興味から
── 2023年3月に発表された炎のゆらぎの仕組みの解明について伺います。まず「デス・モード」とは何でしょうか?
中村:ゆらゆらとゆらぐロウソクの炎を2つ並べると、炎同士が干渉することで同位相のゆらぎや逆位相のゆらぎを発現します。それが炎の安定した状態なのですが、とても面白いことに、位相が変わるタイミング、つまり同位相と逆位相のゆらぎの中間状態で炎のゆらぎが止まる瞬間があります。これを「デス・モード」と呼んでいます。これまで3本のろうそくを使うとこの状態が安定して現れることは示されてきましたが、2本ではデス・モードの状態を安定して発現させることはできないとされていました。
よく調べてみると、ろうそくの炎がゆらぐという研究成果は応用物理学の観点から説明されたものがほとんどで、流体力学的な考察がなく無理があると感じました。そこで燃焼学の立場から、流体力学の知見を踏まえたアプローチをすれば、新たな見方や発見ができるのではないかと考えたのです。
── どのように研究を進められたのですか?
中村:炎同士を近づけたり、遠ざけたりして、デス・モードを安定的に発現させる実験を繰り返しました。デス・モードから炎が安定状態(安定してゆれている状態)になるまでに「遅れ時間」があります。その時間スケール内で炎同士の距離を絶え間なく動かせば、遅れ時間を利用して炎が止まっている時間を長くできるのではと予測し実験しました。
── とても繊細さが求められる実験ですね!
中村:炎をどれくらいの周期で動かすべきか、どれくらいの距離を保てばいいか。多くの条件を検討し最適な条件を見つけ出す必要がありました。実験室の環境にも細心の注意を払いました。わずかな風でも実験結果に影響を及ぼす可能性があったため、広い実験室で実験を行う際には、空調を切ったり、他の人が出入りしないようにしたりと、非常にデリケートな状況で実験を行いました。
── 結果どうなったのですか?
中村:炎同士の距離を周期的に近づけたり遠ざけたりすることでデス・モードを安定的に発現させることに成功し、予測が正しかったことが証明できました。炎のゆらぎ状態を自由自在に制御することができたわけです。これは炎の本質に迫ることにつながる知見です。流体力学的にも説明がついているので、今後は理論構築に向けた研究を進めていきます。
── ゆらゆらゆれているはずの炎が止まるとは、考えてみるととても不思議です。
中村:私も初めてこの現象を見たときは、「こんなことがあるのか!」と衝撃を受けました。研究中は何としてもこの現象を解明し、デス・モードを安定させたいとその一心でしたね。チームのJu博士も同じ気持ちだったと思います。彼にはとても助けられました。
「わからない」を知る、基礎研究の魅力と培われる問題解決力
── 普段、研究に取り組むときのプロセスや考え方について教えてください。
中村:企業との共同研究と学生の卒業・修了研究では、プロセスが異なります。企業との研究では、具体的な課題が設定され、成果が期待されるため、ポスドクなどの研究者が従事します。
一方、学生の卒業・修了研究では、自由なアイデアに基づく基礎研究が中心です。他の誰もやっていない、わかっていないようなことに取り組むことが重要だと考えています。結果が思った通りにならなくても、学生が卒業できるようにサポートし、共に考えるようにしています。最初から結果が想定できるような、ただ条件を変えるだけの研究は滅多に行いません。これが私の教育のスタンスであり、研究を通じた教育の考え方です。
── なぜ、誰もわからないような研究テーマを学生に与えるのでしょうか。
中村:たとえば企業にエンジニアとして採用されたら、どの業態であっても、企業が抱える問題解決に取り組む場面に遭遇します。特に工学系の仕事では、必ずトラブル解決に携わることになることでしょう。
たとえば、納品した設備が故障したり、販売した製品に不具合があった場合、何がなんでもそれらの問題を解決しなければなりません。しかし、自分が直接設計時に関わっていない設備や製品であった場合、どこに問題があるのか見抜くことは困難ですし、答えを導く方法が存在するわけでもありません。それでも、「やったことがないからわからない」という言い訳は通用しません。未知の問題に対して、何か手がかりを見つけるためのアクションを起こせるか。こんな能力がエンジニアとして不可欠だと思います。
学生のうちに、わからない問題に向き合い、答えを見つけるためのプロセスを学んでほしいと思っています。失敗を経て成功した体験があると、その後の取り組み方が大きく変わると信じています。
── 先生が基礎研究に励む理由は何でしょうか。
中村:私が基礎研究に励む理由は、純粋に自分自身が不思議に思ったことを深く知りたいからです。それがすべてです。大学の研究活動には、自分が知りたいことに自由に向き合える特権があります。
私が大学に入学したのは、子供の頃に見たアニメを見て「将来は宇宙が生活圏になるんだ!」という、純粋というか単純な好奇心からでした。実現性とかコストとか当然考えてもいません。興味だけですから。誰しも子供のころは、マジックや科学実験を見て、「すごい!」「不思議だ!」「なんでそうなるか知りたい!」と感じたんじゃないかと思います。しかし、成長するにつれて、謎を解明するために数式や勉強が必要であることに気づき、興味を失っていくことが多い。あるいは、周りの期待に従って自分の好奇心を抑え込んでしまうこともあるのでしょう。何故そうなるかわかりませんが、もったいない。
私は、自分が知りたいと思ったことを単純に追求し続けたおかげで、今があると信じていますし、その実感が今も基礎研究を続ける原動力でもあります。
断念したJAXA、過酷なアメリカ留学を経て、進んだ大学研究者の道
── 研究者になったきっかけを教えてください。
中村:最初は研究者を目指すつもりはなく、大学卒業後にロケット開発を夢見て、JAXA(当時の宇宙開発事業団)への就職を考えました。国家公務員試験(Ⅰ種)に合格し、面接に臨むものの、希望していた燃焼関連の職種の採用がないことを告げられ、JAXAでのロケット開発の夢は断念せざるを得ませんでした。
当時は修士2年生の8月で、周りの多くの人は既に内定が決まっている状況です。進路について悩みましたが、最終的には博士課程(ドクター)に進学することを決意しました。研究自体は嫌いではなかったですし、博士号を取得することで新たな可能性が広がるかもしれないと考えたからです。
博士課程に進学後、アメリカに留学する機会を得ましたが、予想とは異なり、非常に厳しい環境の中で過ごす日々が待っていました。後で知ったのですが、留学の機会を与えた先生は、私に研究者としての厳しさを経験させるために留学させたそうです。結果的に、その経験は研究者としてのスキルや心構えを身につける重要なものとなりました。
そのころから、大学に残ろうと考えはじめたのですが、研究者になるという想い以上に、教育者として日本の大学教育に尽力したいと思うようになりました。学生たちに「学び方」を正しく教えるためには、教育者がしっかりとその役割を果たしていかなければならないと思ったからです。
── 研究者であり教育者である中村先生の今後の展望を教えてください。
中村:研究者として、いつまでも不思議に思う気持ちを持ち続けていたいと考えています。不思議なものに出会った時、それを他の誰かではなく、自分で解明したいという好奇心を持ち続けたい。
その上で、教育者として、学生や若い研究者たちにも、不思議に思うことを「そういうものだ」ではなく「不思議だな」と思い続けられる気持ちの大切さを伝えていきたいと考えています。不思議に思えることは、私たちに備わった才能であり、解明しようとする原動力です。受験勉強の圧力や大人になる過程で失ってしまったその気持ちを、大学で再び呼び覚ましてもらいたい。
何か疑問に感じたら、「すでに決まっていること、書いてあること」と思考を止めず、探究してみてほしい。たとえ、表には出さなくても、こういった一面を自分の中に持ち続けてほしいです。社会に出てから役立つことはありますし、私のような生き方も選択肢の一つです。不思議に思う気持ちこそ、基礎研究の本質ではないでしょうか。
中村 祐二(なかむら ゆうじ)
豊橋技術科学大学 機械工学系 教授。博士(工学)(名古屋大学)。米国商務省標準技術研究所招聘博士研究員、名古屋大学エコトピア科学研究機構講師、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校機械宇宙航空学科在外研究員、北海道大学大学院工学研究院准教授などを経て、現職。東京理科大学火災科学研究所客員教授を兼務。専門は、燃焼学、火災物理科学、模型実験理論、宇宙工学。JAXAや消防研究センター、各種企業など、国内外の多くの研究機関と連携。火災鑑定の経験も多数。キッチンから宇宙まで、あらゆるスケールの燃焼現象を対象とし、人と環境にやさしい燃焼技術と防火・消火技術を開発する。
(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
関連プレスリリース
炎のゆらぎを解明する ~2 つの炎の距離を動かすことでゆらぎは制御できる~
https://www.tut.ac.jp/docs/PR230324.pdf
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