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異端は認められた瞬間、先端になる!ペプチドリーム菅裕明教授インタビュー

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革新的な創薬プラットフォームシステムを提供し、世界中から注目を集める東京大学発のバイオベンチャー『ペプチドリーム』。創業者の一人である菅裕明教授が開発したペプチド合成技術とスクリーニングシステムは、唯一無二の技術として世界中の製薬会社から次々とオファーが舞い込み、これからの創薬の基盤として期待されている革命的な技術です。そして、ウワサによると大の音楽好きで、とてもロックな方なのだとか……!? 自他ともに認める「異端」の研究者は、いったいどんな方なのでしょう。これまでどんな道を歩んでこられたのでしょう。気になります……!

ということで、この度リケラボ編集部は、菅先生の研究室である東京大学大学院 理学系研究科 生物有機学教室を突撃! 菅先生にお話を伺うことができました!

株式会社ペプチドリーム
人体に存在しない「特殊ペプチド」を人工合成し、創薬へ結び付けることに世界で初めて成功した東大発バイオベンチャー。2006年創業。ペプチドリーム社が有する独自の創薬開発プラットフォームシステム:PDPS (Peptide Discovery Platform System) は、薬のもととなるヒット化合物の創製やリード化合物の選択等を短期間で行うことができ、経口吸収性の優れた低分子治療薬や、特定の体内組織へ選択的に薬を届け治療効果の最大化につながるペプチド薬物複合体への展開が可能。世界中の戦略的パートナーと、疾患領域や薬物の投与経路等を問わずに、それぞれのターゲットに対するヒット化合物の探索等を行っている。

 

ミュージシャンを目指した10代の日々

──菅先生は、いつごろから研究の道に進むことを決めたのですか? 子どものころからサイエンスに興味をお持ちだったのでしょうか?

僕は、子どものころからサイエンスが好きだったとか、そういうのがまったくないの(笑)。それこそ、ノーベル賞をとるようなすごい先生方が「幼いときから昆虫が大好きだった」「自然科学への興味に目覚めた」と話してらっしゃるのをよく聞くけれど……僕はまったくありません(笑)。

──そうだったのですね……! ウワサによると、昔はミュージシャンを目指されていたのだとか。

そうそう。僕は岡山で生まれ育って、13歳ごろからギターを弾き始めたんです。高校時代なんて、それはもう音楽に夢中だった。バンドを組んでいたんだけど、これからも音楽を続けるためには地元の大学に進むのが楽ちんだなと思って、岡山大学の工学部工業化学科へ行くことにしたわけです。住み慣れた岡山から無理に離れる必要もないかな、という感じで。ちなみに、高校時代の仲間とは今でも一緒にバンド活動をしていて、日曜の夜に練習しています。近々ライブもやるんですよ。ジャンルはジャズ・フュージョンです。

 

──音楽を続けやすい環境を選んだ結果、地元の大学へ進むことを決めたのですね。では、そのなかでも理系学部を選ばれたのはどうしてだったのでしょう?

選んだ理由は……高校で化学の点数がよかったからかなあ。なんとなく、気づけば得意科目になっていたのが化学だったんです。それに、実家が家具屋を経営していたので、いつかは家業を継ぐことになるんだろうと思っていたのもあります。家業のことも含めていろいろ考えたとき、工学部だったらなにかと潰しがきくかな、くらいの気持ちでした。ただ、家具に囲まれて育ったからか、何かをつくることは昔から好きだった。音楽も、ある意味何かを生み出すという部分では共通していますよね。それに、木も大好きでした。ギターも木でできているからこそ、さらに好きになったというのはあるかもしれません。

 

──その後、ミュージシャンではなく研究者を目指すことになったきっかけはなんだったのですか?

大学にすごい才能を持ったミュージシャンがいて、それを目の当たりにしたら「自分には才能がないな」って思わされてしまった。その人は今でも東京でプロの演奏家として活躍しています。ミュージシャンになるのをやめた最初のきっかけはそれかな。

 

生命有機化学との出会い

──それから、本格的に研究の道へ進まれることになった経緯を教えてください。

大学4年生くらいで有機化学の研究室に入ったら、すごく研究が楽しくて。僕がいた研究室は、企業の研究者さんなどと一緒に研究することが多く、年上の人に囲まれる機会が多かった。その人たちから「菅くんすごいじゃない」ってだんだんのせられて……(笑)。研究者になってもいいかなと思うようになったのは、そのころですね。それまであんまり勉強してこなかったんですけど、研究が楽しくなってからはかなり勉強しました。

──音楽も研究も、好きになったことにはとことん取り組まれてきたのですね! 大学院に進んでからは留学も経験されたとのことですが、海外での経験はどんなものでしたか?

たまたま留学の機会をもらったので、一年休学してスイスへ自分の力を試しに行きました。ずっと外国の音楽を聞いてきたおかげで、英語はわりと得意だったんですよ。スイスでは、ノーベル賞をとってもおかしくなかったようなベテランの先生の研究室の日本人のポスドクの方に、研究室を案内してもらうことが偶然あって……生命の起源を突き止めようとする姿を目の当たりにしたんです。カーボンモノオキサイドと一酸化炭素とフォルムアルデヒドを入れて、熱をかけて……それで糖ができるかどうか、みたいなことを調べていたわけです。つまりこれは、生命の根本がどのようにしてできたのかを調べようとするアプローチ。「なんだこのシンプルな研究は……!」と衝撃を受けたと同時に、僕も生命の起源に興味を持つようになりました。

 

──現在は『生物有機化学教室』の教授をされていますが、当時は生命などバイオの領域は先生にとって新鮮なものだったのですね。

今でこそ“ケミカルバイオロジー”なんていう言葉があるけれど、当時は日本で生物と化学の中間をやっている人なんてほとんどいなかったから。日本にいたときは、自分の専門である有機化学の分野に目がいきがちだったのが、スイスでの経験をきっかけに、違う領域にも目が行くようになりました。それで、バイオにぐんと興味が湧いてきたんです。

 

──スイスへの留学が、生物有機化学との出会いにつながったのですね。

それからスイスで自分が提案したプロジェクトを進めることになって、それが何の役に立つのか考えたとき、薬のネタになるということがわかったんです。それまでは、新しい化学反応を見つけることに意識が向いていたのが、そのとき「こういうことをすれば役に立つんだ」と気付かされたような気持ちだった。世の中の役に立つ研究をしたいなと思うようになったのは、このころからですね。それで、研究のためにさらに勉強してみると、自分は生物のことについてまだ知らないことが多すぎると実感して、アメリカでもっと勉強することにしました。

 

アメリカで、ペプチドリームの基礎となる技術を開発

──アメリカではどんな研究をされていたのですか?

アメリカでは、RNAやタンパク質の研究をしていました。「遺伝暗号がどうやって決まったのか?」を知りたくて始めた研究です。後の『特殊ペプチド』開発につながるアイディアが生まれたのもこのころ。RNAに関してアメリカの機関に研究計画書を書いていたとき、後の「フレキシザイム」につながるRNA酵素を発見することを主題にしていて、将来的にこの人工酵素がペプチドの翻訳・改変に活用できる可能性があることを、ちょっとだけ書くことにしたのです(笑)。すると、レビュワーが「これはすごいアイディアだからもっと広げなさい」とエンカレッジしてくれた。残念ながら研究費はそのときはもらえなかったのですが、それに応えれば、結果的に自分の本当にやりたいこと──生命の起源の謎──だけでなく応用にも近づけると思いました。それからすぐに応用の計画も申請書に組み込み、結果的に研究費を獲得できました。研究の軸がRNAだけでなくタンパク質やペプチドの翻訳合成へと展開することを意識するようになったのは、このときですね。

 

──『特殊ペプチド』や『フレキシザイム』は、ペプチドリームの創薬技術のカギともいえる技術ですよね。改めてどんなものなのか教えていただけますか?

特殊ペプチドは、ざっくりいうと天然型のペプチドをまねた物質です。ペプチドは、20種類のアミノ酸が組み合わさってつくられた化合物のことで、食べものなどで口から摂取すると、身体のなかで分解されます。しかし、薬として細胞のなかにまで届きやすくしたい場合は分解されないようにしたい。そのため体内で分解されないアミノ酸が必要になってくるわけです。天然物のなかにも分解されにくいアミノ酸を含んだペプチドが存在しているのですが、なにしろ見つけるのが難しい。そうした「奇跡の薬」を求めて、昔の研究者は山の奥地まで行って、いろんなキノコやカビなどを採取していましたよね。そこで、天然物の構造をまねて、体内で分解されにくい特殊ペプチドを人工的につくれたらすごくいいね、と。ただ、特殊ペプチドの翻訳合成は不可能に近かった。それを可能にしたのが、『フレキシザイム』です。フレキシザイムは、我々が開発した人工のRNA触媒。ペプチドが合成される際の遺伝暗号をハッキングしてタンパク質には含まれていない特殊なアミノ酸を遺伝暗号に指定できるため、特殊ペプチドも自由自在に合成できるのです。

 

──遺伝暗号を改変するなんて、ものすごい技術ですね!!ちなみに、フレキシザイムの開発にはどれくらいの年月がかかったのでしょうか?

10年ほどですね。フレキシザイムの開発中に、FITシステムとRAPIDディスプレイも並行して開発を進めていて、それぞれ3年ほどの年数がかかったので、トータルで16年ほどですかね。

FITシステムでは、1本の試験管中に1兆種類もの特殊ペプチドをつくることができます。特殊ペプチドの合成自体はほかにも方法がありますが、一度にこれだけの種類をつくれるのはFITシステムだけなんです。1兆種類もつくってライブラリー化できれば、薬のもとになる物質がぐんと発見しやすくなります。また、通常はライブラリーを持つとなると、巨大な冷蔵庫にずらりと保存することになりますが、FITシステムでは試験管1本分というコンパクトさ。これも画期的なポイントです。ものすごくエコですよね。

RAPIDディスプレイは、このライブラリーのなかから薬のもとになるベストな特殊ペプチドを見つけるシステム。これらの技術を組み合わせたことで、ペプチドリームは、他ではまねのできないスピーディーで安全な創薬プラットフォームを確立しています。

フレキシザイムとRAPIDディスプレイは技術的には完成していますが、遺伝暗号をリプログラミングする鍵となる基盤技術、FITシステムは今も進化しているところ。こちらは菅研(東大の菅先生の研究室)でも研究を続けています。

 

──菅先生は、会社を立ち上げられてからもご自身はあえて経営にかかわらず、研究に専念されていますよね。現在は、どんな研究をされているのでしょうか?

アカデミックな研究としては、特殊ペプチドで解決できていないところも解決できるようにするための技術開発を行っています。たとえば、天然物にさらに近いもので、分解されずに細胞の中にまで入り込めるような化合物の発見。さきほど特殊ペプチドについて説明したように、天然物で薬になり得るものの発見は難しい。だからこそ、僕達は特殊ペプチドを開発し活用してきていますが、天然物により近いものをつくれるようになれば、特殊ペプチドよりさらに効率よく細胞内に入る化合物の発見ができると期待できるので、今はそのために研究を重ねているところです。

 

──経営とアカデミックな研究をきっちりと分けていらっしゃるのは、研究に集中し続けたいからなのでしょうか?

そうですね。今やっている研究も、ペプチドリームで活用している技術に近いものではありますが、さらにチャレンジングなものなので。チャレンジングなことをするには、自分で自由に研究をできる環境がいいなと僕は思っています。決して、経営にまったく興味がないわけではないんですけどね(笑)。でも、両親の姿を見てきたからこそ、研究の片手間でできるようなことではないとも思っています。だから、あと数年研究を続けて成果を出して、スタッフたちをある程度次のステップへと送り出したら、いずれは経営のほうをメインにやってみようかなあ……なんてことも実は考えています(笑)。

 

異端は認められた瞬間、先端になる

──先生は、講演などいろいろなところで「異端は認められた瞬間、先端になる」とおっしゃっています。この考えを持つようになったのはいつごろですか?

最初に思ったのは、フレキシザイムが役に立つ技術だとみんなに思ってもらえたときかな。もともと、「そんなのがうまくいくの?」と、疑問を持つ人たちのほうが多かったわけです。それでも、結果的にものすごく役に立つ技術であることが認められ、先端として注目された。さらに技術が定着すると、それは常識へと変化する。そして標準となっていきます。その感覚を体感できたことが大きかったですね。

 

──周りからうまくいかないと言われたら、多くの人はめげてしまうのではと思います。

あのね、多くの人の場合は「めげる」のではなく実は「逃げる」んです。難しくて達成できないかも、となると、成功確率の高いほうに逃げてしまう。そのほうが楽だからね。僕は、ある程度研究の成果が出るには7年かかると考えているんです。研究費が3〜5年のサイクルでまわっていることを考えると、ちょっと時間が足りなくて大変なこともありますけどね(笑)。だから、「これをやろう」と決めたら、達成できないかもしれない、というリスクは負いつつも、目標を変えることはありません。もちろん、途中途中の小さな目標は必要だし、ときには少しずつ軌道修正しながら進むこともあります。それでも、いちばん大きな目標は変えちゃだめ。

 

──先生が、大きな目標に向かって進み続けることができるのは、どんなお気持ちが原動力になっているのでしょうか?

せっかくなんだから、面白いことをしたいですよね。みんなが「おっ」と思ってくれることをしたほうがいいじゃないですか。クリエイティブなことをしたほうが面白い。ギターを弾くのも同じだからなぁ。僕はプロになるような人ほど音楽の才能がなかったけれど、サイエンスに関してはプロなので、きちんとつきつめていきたいと思ってますよ。

 

──“才能”という言葉が出たのであえて伺いたいのですが、先生ご自身が持つ才能って、何だと思いますか?

うーん……サイエンスではないと思ってます(笑)。ひとつ挙げるとしたら、「人と楽しく遊ぶこと」かもしれません。研究はチームでやるものだしね。

 

日本発の新技術で世界初の創薬を

──最後に、若い世代へのメッセージをいただけますか?

僕がよく講演会などで使わせてもらっているのは、吉田松陰の言葉。
「夢なき者に理想なし、理想なき者には計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」

 

──まさに、大きな目標へと向かうことの大切さについての言葉ですね!

そうそう。夢がなければ成功できない。あと、ジェームス・ブラウンの言葉で、
「夢を持たない人こそが、他人の夢を笑う」
というのも、まさにそうだと思います。そして、スティーブ・ジョブズの
「絶対に真似できない、真似しようとすら思わないレベルのイノベーションを続けろ」
も、僕がよく引用させてもらっている言葉。結局これも夢を持って続けないとできないことです。すごくいい言葉ですよね。僕も、自分でこういう名言をつくりたいんだけど……(笑)。やっぱり、僕の言葉として伝えられるのは、
「異端は認められた瞬間、先端になる」ということですかね。

 

──夢の素晴らしさ、大切さは誰もがわかっていることかもしれないけれど、実際に自分の夢を描ける人はそう多くないように思います。仮に夢が見つかったとしても努力を続けるのは大変なことだし、かならず叶うという保証もありません。それでも「逃げずに」。クリエイティブな姿勢で仲間を大切に、明るく楽しく! 先生の人生のお話を聞いて、夢を持つこと、そしてあきらめないことの大切さを改めて思い出しました……!

先生の夢である「日本発の新技術で世界初の創薬」。
特殊ペプチドによって「アンメットメディカルニーズを解消する薬(いまだ有効な治療法が見つからない病気に対する薬の開発)」が次々と花開いていく近未来は、すぐそこまで来ているのですね! 近未来が待ち遠しいです!

 

菅先生、今日はお忙しいなか本当にありがとうございました!

 

<菅先生年表>
1963年 岡山県岡山市で家具屋を営むご両親のもとに生まれる
1969年ごろ〜(小中学生)剣道やサッカーを習いながら過ごす
1974年ごろ〜(小学校高学年)ラジオをきっかけに外国の音楽を多く聴くようになる
1976年 13歳でギターを始める
1979年 高校で仲間とバンド活動を始める
1982年 岡山大学工学部工業化学科へ進学
☆4年生のころ、有機化学の研究室で研究の面白さに目覚める。
1986年 岡山大学工学部工業化学科卒業 学士
1987年 スイスローザンヌ大学化学科留学(文部省特別留学生)
☆生命の起源に興味をもつ&生物有機化学に出会う
1989年 岡山大学工学部精密応用化学科卒業 修士
1994年 米国マサチューセッツ工科大学化学科卒業 Ph.D.
☆アメリカでフレキシザイムの開発を始める。1994年 米国マサチューセッツ総合病院 ハーバード大学医学部 博士研究員
1997年 米国ニューヨーク州立バッファロー大学化学科助教授
2000年 米国ニューヨーク州立バッファロー大学 生物科学科、微生物学科兼任
2002年 米国ニューヨーク州立バッファロー大学化学科 テニュア准教授
2003年 東京大学先端科学技術研究センター 准教授
2005年 東京大学先端科学技術研究センター 教授
2006年 ペプチドリーム株式会社を設立
2010年 東京大学大学院理学研究科化学専攻生物有機化学教室 教授

 

菅先生研究室 HP
http://www.chem.s.u-tokyo.ac.jp/users/bioorg/

ペプチドリーム株式会社 HP
https://www.peptidream.com/

 

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