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マイクロ・ナノテクノロジーを使った、生体成分の分析のためのデバイス研究が進んでいます。小さなチップの中に微小な流路を構築するマイクロ流体デバイスが血管モデルの作成に向いていると考え、この作成に挑んでいるのが日本女子大学の佐藤香枝教授です。このモデルが実現すれば、血管で起きていることをなるべく正確に把握し、創薬をはじめとする病気の治療法への貢献が期待できます。その他にも胎児段階の造血組織分化の仕組み解明にもつながっていくともいわれています。
佐藤先生は独自の工夫や身近なものからもヒントを得る柔軟な思考から、ポンプ吸引によって拍動を模擬した血管拡張モデル作りに成功しています。世界では高度な技術を駆使して作られたモデルも多数存在しますが、佐藤先生のデバイスの特徴は、身近な材料で誰もが作りやすく使いやすいということ。普及しやすい性能の良いデバイスがあれば、研究スピードも格段に上がります。技術を独占するのではなく、みんなのために。先生のお話から「研究はユニバーサルなものだ」という基本を改めて痛感させられました。
「これからの時代に求められる分析」を求めて、血管モデル作りに挑戦
佐藤先生はマイクロ流体デバイスを用いた血管モデルの構築に取り組んでおられるということですが、マイクロ流体デバイスとはどのようなものかお聞きかせください。
佐藤:マイクロ流体デバイスは小さな板に髪の毛の太さほどの直径1mm以下の微小流路や反応容器を持つデバイスの総称です。これを試験管に見立て、より生体に近い形で生命現象を観察することが可能になります。デバイスのサイズは手のひらに乗るほどですが、細胞を培養するデバイスは、サイズ的には大きな方です。DNAを1本だけ扱うようなものになると、流路の直径は1 μm以下の大きさになってきます。2000年頃から流路で細胞を培養し、血管や骨、のちにご説明する臓器チップといった組織のモデルを作る研究が行われるようになりました。私はその中でも血管の中で起きている現象を見ることができる、血管モデルの実現を目指しています。
小ささや流路があるデバイスのメリットは?
佐藤:従来の実験はシャーレで細胞を培養しますが、流れがなく血管の機能を再現できている訳ではありません。それに比べて身体の状態に近い環境ができます。それに試薬も少なくてもいいので、何条件でも実験が可能といったことなどが挙げられます。
このテーマに出会うまでの経緯を教えていただけますか?
佐藤:私は2004年から東京大学の工学部の助手(のちに講師)となり、マイクロ流体デバイスの研究をはじめました。その頃は血管だけではなく、骨や臓器といったほかの組織も対象でした。当時、東京大学の教授だった片岡一則先生(現在はナノ医療イノベーションセンターのセンター長)が主導していた医工連携の研究プログラムでスタッフとして参加し、学生にマイクロ流体デバイスについての指導も行っていました。医学部の先生方ともお話するようになり、血管モデルに対する興味が深まっていきました。
なぜ血管だったのでしょうか?
佐藤:がんでは血管からがん組織に薬剤が届くかどうかというのが、薬剤作りには最も重要です。先生方はそれを試験管レベルで観察する仕組みがあるといい、という要望をお持ちでした。マイクロ流体デバイスなら、細い流路に血管の細胞を接着させ、培地を流して血液に見立てた条件下で培養すれば、血管を模擬した観察に使えるモデルができると考えたのです。
私の専門は分析化学なのですが、新しい分析化学の分野はなんだろうと考えたとき、今の時代において大切かつ新しい研究対象は生命科学の測定法だと思い、やってみたい思いがありました。そして2009年に自分で研究室を持ちますが、そこからは血管モデル作りをテーマとし、挑み続けています。今でこそ世界中で注目される分野ですが、当時はこの分野に取り組む人は多くありませんでした。また、細胞の応答を調べる実験では、遺伝子の転写量を調べることも重要です。私は、マイクロ流体デバイス内で培養している細胞のDNAやmRNAの発現を調べる分析技術を持っていると大きな武器と考え、そこについても研究を行っています。
新しい材料を使ったデバイス作りに積極的に取り組む
母校で研究室を持たれてから、これまでのデバイス作りにはどんな試行錯誤がありましたか。
佐藤:東大の北森武彦先生の研究室ではデバイスはガラスで作るものでした。ガラスはいいところもありますが、酸素透過がないというようなデメリットもあります。私は培養に向いていて、培地によく使われるシリコンゴムを使うことにしましたが、シリコンゴムでやってみると、ガラスのデバイスよりも細胞がすくすく育つことがわかりました。そのうち、材料や周りの環境次第で細胞の様子が変化するということがだんだんわかっていきました。さらに現在は生体材料の方がいいかもしれない、とタンパク質のゼラチンによる毛細血管作りにも挑んでいます。細胞が身体の中にいるときにより近い培養条件を求め、新しい材料を探しました。ゼラチンは柔らかく扱いが難しいのですが、どうすれば導入孔を作れるのか、細かな職人的な工夫が必要だと思って取り組んでいるところです。
研究室の運営はいかがですか?
佐藤:やることが多いし、研究室の維持を考えると心臓がキュッとするようなときはあります(笑)。でも今は、好きな研究を学生と一緒にできます。また、2年前にはヨーロッパに1年間行き、スイスとスウェーデンで研究を行いました。家族の理解もあり、恵まれた環境だと思っています。
この分野の研究における、世界の動きはどのようなものでしょうか。
佐藤:細胞を飼うだけではなく、組織を作り、小さな臓器モデルの作成が形になってきています。2010年、『Science』誌にアメリカの研究グループが肺のモデルを模擬したマイクロデバイスの臓器チップを発表し、衝撃を呼びました。小さいデバイスの中で肺胞が膨らむ仕組みを実現したんです。これは肺胞と毛細血管で炎症の反応を見たり、肺胞から血管へ粒子が入っていくのを見たり、肺の中でこういうことが起こっているのではないか、というのを実際に見られるものでした。現在アメリカでは臓器チップを作るベンチャーもできており、薬物代謝や腸管吸収、肝臓機能や腎臓での様子を再現するようなチップの開発が進んでいます。
すごいですね。日本はどうなのでしょう。
佐藤:日本はこうした細胞系の応用より、デバイス作りやその周辺技術のほうが得意です。アメリカのような研究は規模も大きく、かつ内容も難しいです。私の研究室や学生が実現するにはハードルが高いということもあり、私自身は自分たちでできる手法でデバイス作りに取り組んでいます。
横ではなく縦に伸ばす!ひらめきが生み出した血管拡張モデル
デバイス作りの難しさはどんなところにありますか?
佐藤:まず、材料が合っていないと細胞が正常に機能しません。そして今までシャーレで培養する方法が確立されてきましたが、ここでうまくいっても小さなデバイスのような入れ物で構築する際はそのままの条件では駄目です。だから常に試行錯誤が続きますね。最初はわからないことも多く、世界中の研究者の論文を読みました。そのうちシャーレでの培養よりも頻繁に培地を変えてあげないといけないことなどがわかってきました。さらに培地の状態についてpHやグルコース、乳酸値なども随時分析し、条件を調べ続けました。
佐藤先生が血管を拡張するモデルとして作られた、代表的なマイクロ流体デバイスについて説明していただけますか?
佐藤:このデバイスはガラスの板の上に、シリコンゴムのシートを3枚貼り合わせたもので、上下2つシートにはそれぞれ流路があり、上下の流路を重なるようにして、その間には薄いシートを挟み込んでいます。上の流路で細胞を培養し、下の流路はポンプにつなげて吸引すると中が陰圧になり、真ん中にある膜が下に引き込まれて培養している面が伸び、血管が拡張するように動くモデルです。これを1分間に60回伸ばすと、心拍がある状況を模擬できます。
仕掛けはシンプルなのに、すごく面白いですね!発想のヒントはどのようなところからきたのでしょうか?
佐藤:最初はなかなか思いつきませんでした。アメリカのグループが作った肺モデルは横に伸ばすものだったんですが、その構造は難易度が高くてとても作れないと思いました。でも、上下でシリコンゴムを張り合わせて、吸引で下に引き込めば機能的には拡張している形になるのではないか?とひらめいたんです。シリコンゴムを張り合わせること自体は難しくないので、自分たちでもできるものでした。ただ、シリコンゴムの薄い膜を均一に作る難しさはありました。自分で一から作っていたときは目には見えないような孔が開くなど苦労もありましたが、最近は市販でいい膜を見つけたので手軽にできるようになりました。
発想の転換というか、柔軟に視点を変えたことが成功の鍵だったんですね。デバイス作りにおいては今後どのような発展を目指しておられますか?
佐藤:世界の研究者たちも血管らしきものまでは作れているというのが現在の状況です。臓器とやり取りするのは毛細血管なので、研究者たちはそのサイズのものに血液を流せるモデル作りに挑んでいます。でもいずれもサイズが大きい上に、安定して自在に作れるという段階には至っていません。私はというと、血管内皮細胞がある環状の血管らしきものを作ることができていて、しかも流せるというのが大きな成果です。今後は毛細血管レベルでそれを可能にする入れ物の形や、プロトコルを固めていく必要があります。
毛細血管レベルのものにするのはかなり困難なのでしょうか?
佐藤:細胞は大きいので、毛細血管のような小さな流路だと人工的には入れられません。細い流路の壁面に細胞を接着させて管空状に培養するのではなく、細胞が元々持っている機能を発揮して、自然に環状の毛細血管のようになっていかないといけないんです。さらに血液の流れを模擬できるように、流量の管理がきちんとできるモデルを作る必要があります。流せる毛細血管、そしてそれを誰もが簡単に作れる方法を探っていくことが最大の目標です。さらにがんにもいろいろ種類がありますが、その病気特有の環境を付加できるようなものになれば、病気の研究をしている人たちに提供できるものになると思います。
今あるものを利用して、簡単にみんなが使えるものを作りたい
佐藤先生のお話を伺っていると、既存のものを柔軟に使って活かす、また世の中で欲しがられているものは何かを考え、誰もが作れて使いやすいものにまで落とし込もうとする姿勢を強く感じます。
佐藤:分析化学の研究は、作った方法を使ってもらってこそですから。そして使う人から欲しいものをフィードバックしてもらい、それを積み重ねることで新しいデバイスの要望が明確になって…というサイクルを回すことで学問が発展します。あまり難しいものは私の研究室では作れないというのはありますが、逆に作るのが簡単ないい構造があれば、普及する可能性がありますよね。研究は最初の一歩のところが大変で、評価されやすいところはあります。でもそれが使えないものだったらもったいないですよね。私がやっていることは私一人ができればいいというものではなく、研究成果を簡単に、みんなが使えるようにするにはどうすればいいか、ということなんです。私の血管モデル作りは、これまでシャーレで行っていたことを、もう少し動物や人の身体の機能を付け加えた培養法に変えて、みんなが使えるようにするためのものです。材料も身近にあるものを活用しています。専門分野以外の人にも使える、なるべく簡単でいいもの、みんなが使えるものを作りたいです。
佐藤先生の工夫やアイディアはとても自由で柔軟な印象があります。ケーキ等の装飾に使う銀色のアラザンから発想を得たというエピソードもお持ちだとか。
佐藤:心臓モデルを作っていたときのことですね。シリコンゴムで中が空洞の球体の容器を作りたかったんですが、作り方に悩んでいたんです。真ん中に丸くて後で溶けるものを入れればいいなと思って、溶けるものといえば砂糖だなと。日曜にお茶を飲んで一息ついているときに、ふとケーキの飾りのアラザンが思い浮かんで、あれを芯にすればいい!と思いつきました。そうしたら思った通りにできました。悩みの解決っていろんなところにヒントがあると思うのです。研究以外のところから糸口が見えないかと、そのとき見ているものに悩みを置き換えることで思いつくことはありますね。
研究者のスタイルは人それぞれ。いろんな研究者像があっていい。
難解な理論や新しい機構を解明するような研究に憧れる気持ちはあっても、いざ自分がそういうことを本当にしたいかと考えると結構遠く感じるのが正直なところです。その点、先生の研究スタイルにはとても親しみやすさを感じます。
佐藤:人類の新発見になるような科学的成果を追究することは素晴らしいですが、そればかりが研究ではないと考えています。学生は、ほかの人の研究発表を聞くと、「自分のテーマは駄目で、よそのテーマはすごい」と思ったりもするようですが、みんないいテーマなのだと私は考えます。それぞれの場所でみんないい仕事をしていることに自信を持ってほしいと思います。
女性研究者ということで、男性よりも研究に注力する時間がとりにくい、というようなことはやはりあるのでしょうか。
佐藤:人生にはいろんなことが起こりますし、研究をどう続けていくかについては男女に差はないと思います。研究者の中には、起きている時間のほとんどを研究に費やしているような方もいらっしゃるかもしれません。でもそこまでの時間やパワーを研究に注ぎ込むことが難しい研究者は私に限らず大勢いらっしゃるし、長い人生の途中には研究を中断しなければいけないような事情に出くわすこともあるでしょう。それでも、研究者としてのキャリアをあきらめる必要はないと思うのです。研究に多少間が開くことがあっても成果を出せる領域やテーマはありますし、普遍的な、みんなの疑問となっているようなことを追究していくとよいのではないでしょうか。
また、ネットワークやコラボレーションも大切ですよね。自分一人の経験だとたくさんのことはできません。いろいろな方とコミュニケーションをとり、研究が途切れないようにしていけば道は見えてきます。自分の研究が停滞しているときに、共同研究で相手の話を聞くだけでも何かにつながることもありますし、何よりもみんなのためという気持ちで研究を続けていると、何かあったときに助けてもらえたり協力してくださる方がいらしたりして、研究が続けられてきたように思います。もちろん、自分が役に立てそうなときは、こちらも協力を惜しみません。
これから研究を志す方には、柔軟性を持って、みんなのためになるような、そんな人に成長していってもらいたいですね。
<取材を終えて>
女性が研究者として生きていくには、研究一筋で結婚や出産はあきらめないといけないのかな…と漠然と考えていましたが、佐藤先生のお話を聞いて、マイペースに自分ができることでみんなの役に立つことをテーマに研究を続けていくこともできるのかも…と希望が湧きました。もちろん大変なことはたくさんあったと思いますが、それでも、にこやかにしなやかに研究を続けてこられた先生はとても素敵だと思いました。貴重なお話をありがとうございました。
日本女子大学理学部教授
佐藤香枝
日本女子大学家政学部家政理学科Ⅰ部卒。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。その後、国立がんセンター研究所リサーチレジデント、理化学研究所バイオ工学研究室 基礎科学特別研究員、東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻の助手および講師を経て、2009年より母校の日本女子大学に戻り、教員として学生を教える傍ら、マイクロ血管デバイスの構築等に取り組んでいる。2018年には1年間、スイスとスウェーデンにおいても研究活動を行った。プライベートでは社会人オーケストラにも所属しており、ヴィオラを演奏している。(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
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