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企業研究者、大学教授、そして母として──メニコン・伊藤恵利さんに聞く“多面的キャリアを切り拓く秘訣”とは?
企業研究者であり、大学教授であり、そして母でもある—。
メニコン共創戦略部部長の伊藤恵利さんは、次世代コンタクトレンズ素材の設計を担う研究者であり、現在は東北大学グリーン未来創造機構の特任教授兼「メニコン×東北大学 みる未来のための共創研究所」所長としても研究を続けています。
先端技術を用い素材の構造や機能の“見えない世界”を可視化し、その仕組みを解き明かすことで、人にやさしい製品づくりを追求してきました。
企業とアカデミア両方に籍を置き、双方の視点と方法論を存分に駆使する研究者としての在り方は憧れの存在でもあります。
どうしたらそのような研究キャリアを築くことができるのか。研究に賭ける想いと、仕事観についてお話を伺いました。
株式会社メニコン
1951年2月創業。社名は「目にコンタクト」に由来し、創業者の田中恭一氏が日本で初めて角膜コンタクトレンズの実用化に成功したことから始まった企業である。現在は、コンタクトレンズおよび関連ケア用品の研究・開発から製造・販売までを一貫して行う総合メーカーとして、ハードレンズ、ソフトレンズ、使い捨て(ワンデー)タイプ、遠近両用・乱視用など、多様な製品ラインアップを提供している。基礎研究にも注力しており、1995年に設立された「総合研究所」では、国内外の研究機関と連携し、素材開発から製品化までを推進している。
世の中に役立つ製品をつくるため素材工学を学ぶ
── メニコンに入社するまでの経緯を教えてください。
学生時代は素材工学、現在でいうマテリアル工学を専攻していました。世の中にある製品を形づくる素材は様々ありますが、中でもわたくしは特に、高分子、いわゆる“柔らかい素材”に強く惹かれました。ソフトコンタクトレンズや生理用品のように、高分子で身近な暮らしを快適にしていきたいと考えたのです。
メニコンに入社を決めたのは、端的に言えば、自分の人生を変えてくれた製品をさらに良くしたいと思ったからです。
── 人生を変えたとは?
高校時代近視だったわたくしは、夜間も装着したまま眠ることができるハードレンズを使っていて、これが本当に快適で、「なんて便利なんだろう」と感動しました。
でもハードコンタクトレンズは、慣れるまでに時間がかかったり、痛みや違和感によって使えない人も少なくありませんでした。ソフトレンズは今でこそ長時間装着可能になっていますが、ハードレンズに比べて酸素を通す量が少なく、寝ている間の装着には適さなかったのです。
「自分が感動したこの快適さを、誰もが当たり前に感じられるようにしたい」「大学で自分が学んでいた高分子という素材の研究開発によって、その課題を解決できるかもしれない」と考え、それがメニコンを志すきっかけになりました。
入社後初めての発明はボツに。
素材を根本から理解することの大切さを痛感
── 入社後はどんなお仕事をされてきましたか?
コンタクトレンズの研究開発です。学生時代に学んだ高分子化学を応用して、より良い次世代の材料の設計に取り組むことになりました。
ソフトレンズは高分子が網目構造を形成しているゲル状の膜が、ゼリーや寒天のように水を包み込むことで刺激なく装着することが可能となっています。
入社後に最初に課されたミッションは、「普通に作ると白く濁ってしまうある高分子の組み合わせを、透明化する」というものでした。試行錯誤の結果、透明にする方法自体は比較的早くに見つけることができました。
ところがそのメカニズムの考察をした時に先輩から「実際に見たのか?」と尋ねられたのです。メーカーと言えば考えられる原料をひとつひとつ組み合わせて、目的のものができるかできないかのトライ&エラーの繰り返しが伝統的なものづくりの王道です。それに当時はその現象を直接観察する手段がなかったので「見ていません」と答えました。結果的にその開発品は製品化に至りませんでしたが、この指摘の意味するところは、結果だけで語るのではなく、なぜその事象が起きたのかをちゃんと観測し、理解しなさいということです。
なぜその事象が起きているのか理解しないままでは、ものづくりはいつまでも偶然を待つ“宝くじ”となってしまいます。仕組みを理解していなければ厳密な意味での再現も応用もできません。そのことを痛感するとともに、「見ました」と言えなかった自分をとても悔しく思いました。
── その悔しさが、伊藤さんのものづくりの原点となったのですね。
はい。目に見えない微細な構造を理解したうえでものを作るという、わたくしのものづくりの基本的なスタンスが定まりました。そこに、大きな転機が訪れます。入社15年目の頃に、兵庫県にある世界最大級の放射光施設「SPring-8(スプリング・エイト)」に行く機会をいただいたのです。
── 指先にのる小さなコンタクトレンズと、超大型施設の組み合わせが興味深いです。
放射光は、加速器で電子を光速近くまで加速させた際に生じる非常に明るい電磁波で、可視光から硬X線までを含みます。中でも“放射光X線”はナノスケールの構造解析に非常に適しており、話を聞いた瞬間に「私が調べたかったのはこれだ」と確信しました。
放射光を使えば、目に見えない微細構造まで観察でき、たとえば素材の酸素透過性が高い理由や、水を多く含む性質がどのように生まれるのかを理解できるようになります。
その後、コンタクトレンズの表面の感触や乾燥を防ぐ要素を追求するため、現在では放射光X線に加えて中性子・電子線・レーザーも併用し、表面元素や構造の分析を行っています。こうした多角的な手法による研究を、そこからさらにおよそ15年間続けていきました。
企業研究者でありアカデミック研究者。
発信することが出会いとチャンスを生む
── 現在は東北大学で特任教授も務めていらっしゃいます。どういう経緯からアカデミアとの接点が生まれ、特任教授のポジションを兼務されることになったのでしょうか?
実は自分からアカデミアのポジションを求めていったわけではありません。微細な世界の原理の理解に努めていった結果、新しい発見をし、論文として発表していきました。そうするうちに「学位を取得した方が良いのでは」となって大学院に入り、気づけばアカデミアポジションも得ていたという流れです。
── そうはいっても、アカデミックポストを得ることは大変なことです。
SPring-8や茨城県のJ-PARCといった国内有数の量子ビーム施設の力を借りて研究を続けた成果は積極的に世の中にシェアするべきだと考えていました。そうした発信を通じて、さまざまな大学の先生方に研究を知っていただき、講演などにお招きいただくようになったことが大きかったと思います。
東北大学にラボを持つこととなったのも、ナノテラス*の運用を構想していた東北大学の方々が、私の発表を聞いて「非常に親和性が高いのではないか」とお声がけくださったからです。
*ナノテラス(NanoTerasu)
宮城県仙台市青葉区の東北大学青葉山新キャンパス内にある放射光施設。太陽光の約10億倍という非常に明るい「放射光」を発生させ、ナノメートル(1メートルの10億分の1)スケールの物質構造を観察できる。
「出会いの数」イコール「不可能を解決する手段と出会う機会」
── 研究を続ける中で楽しいと感じるのはどんな時ですか?
研究開発職であるからには、「不可能に挑むこと」が醍醐味だと私は考えています。ものづくりとは、常に実現可能性に向き合う仕事です。誰もがいいと思えるものを作りたい。しかし現実はあまりにも難しい挑戦であることばかりです。そこで私は不可能に直面したとき、ただ「できない」と悩んだりあきらめたりするのではなく、「いつか達成できたらいいな」というやりたいことリストとして常に自分のなかに溜めておくようにしています。
それから外部探索研究者であることを信条としています。フィールドワークのなかで、全く異なる分野の先生に出会い話をしているうちに「もしかして、私が不可能だと思っていたことは、この方の技術と重ね合わせることで実現できるかもしれない」「新しい価値が生まれるかもしれない」と突然ひらめくことがあります。長年の課題を解決するマッチングが突然脳内で起こる、その瞬間ほど楽しいものはありません。特に国が主導して進める大規模な研究開発プロジェクトでは、研究者、行政の方と本当にいろいろな人と出会えます。枠を取り払っていった瞬間に生まれる新しいことがたくさんあります。
── 様々な立場の方と仕事を進めるうえで大切なことはありますか?
みんなが違和感なく仕事ができるストーリーを描くことが大切ですね。基礎研究と応用研究、ものづくりにはどちらもなくてはならないものです。
例えばコンタクトレンズの場合、「生体に負担をかけないこと」は誰も否定できない共通目標です。その大概念を要素分解すれば、企業では「どんな機能を実現すべきか」という製品開発のテーマになり、大学では「その原理的な構造をどう設計するか」という基礎研究になります。
企業にとっては製品価値の向上につながり、大学にとっては学術的成果の創出につながる、双方にとってハッピーなストーリーを描き、両者をつなげ、新しい価値を生み出すことが私のミッションだととらえています。
現在の取り組みとして、使用済みレンズケースの再生技術の開発にも挑む伊藤さん。まずは回収されたケースを形状・材質ごとに分類し、特性比較のための試験片を作製。次に微細構造を測定する装置で素材の変化を精密に解析し、その結果として得られた散乱パターンから内部構造の違いや再生プロセスの可能性を読み解いていく。
(画像提供:伊藤恵利さん)
企業・アカデミア・子育て。
クロスオーバーな研究者になるには「焦らない。慌てない。諦めない」の精神で
── 企業研究とアカデミア研究を両立される中で、周囲の理解を得るまでにご苦労もおありだったのでは?
もちろん最初からすべてがスムーズだったわけではありませんでした。学位取得の際も、「本当に会社の業務と結びついていくのか」といった声をいただくこともありましたし、提案したテーマが「挑戦的すぎる」と見られることもあったと思います。
ただ私には、アカデミックな探求を続けることで、製造工程や材料評価に関する“本質的な理解”が深まるという確信がありました。外部で得た知見を社内に共有し、実証を積み重ねることで、徐々に周囲の理解を得ていきました。
その過程で、いったん研究所を離れ広報部に異動になった時期もあります。そこで「研究と社会をつなぐ役割をつくろう」と考え、当時まだ社内になかった学術広報という機能を立ち上げつつ、研究者としての活動も続け、論文発表や学会発表を通じて価値を実際に示していきました。
やがて外部からの評価や共同研究の機会が増え、国のプロジェクトなど、会社全体に広がるテーマにも発展していきました。気づけば、そうした積み重ねが認められ、部長という立場を任せていただくことになっていました。
結果的に、メニコンという会社の懐の深さ、特に創業者の「ものづくり」に対する深い思いの中で、仕事をさせてもらってきました。
日本初の角膜コンタクトレンズを開発した創業者・田中恭一氏の精神を礎に、メニコンは「より良い視力の提供を通じて広く社会に貢献する」ことを掲げてきた。その姿勢は、現在の研究開発にも受け継がれている。
(画像提供:株式会社メニコン)
── 信念を持ち続けるための支えは何だったのでしょうか。
困難な状況を乗り越える上では、恩師ともいえる上司の存在が非常に大きかったと思います。非常識と言われるようなアイディアを「奇想天外なことをやったほうがいいんだ」といつも私の挑戦を後押ししてくれ、その恩を考えると、どんな逆境にあっても「ここで折れてしまったら申し訳ない」との気持ちで踏ん張れました。その上司からかけられた「焦らない。慌てない。諦めない。」という言葉は、今でも私の指針になっていますし、私も後進の方々にとって同じように挑戦を後押しする存在でありたいと思います。
── 双子のお子さんの母親でもあるそうですね。お子さんはすでに大人になられたそうですが、家庭と仕事の両立はどのようにされてきましたか?
ものづくり企業の開発者は、ラボで生まれた発明を工場に移管し製品化までケアする必要があります。現場に立ち続けることを求められますが、子育て中は、物理的・時間的に難しい時期があります。一方で研究は、思考を深めることは、いつでもどこでもできます。
実際、放射光など外部施設での実験は機会が限られるため、「一発勝負」で最大の成果を出すには、事前にどれだけシミュレーションを重ね、失敗のない実験系を組めるかが重要です。この準備のための“思考時間”は、どこにいても確保できます。
「考える」ということを自分の主軸に置いたアカデミックな研究にシフトしたのは、育児との両立のための選択でもありました。子供を育てている間でも、家事やお風呂に入っている間でも、「考える」ことはできるからです。
さらに、家事や育児といった全く別の活動が、むしろ思考を煮詰まらせない助けになりました。異なる視点を得られるし、ふとした瞬間に研究のヒントが生まれることもあります。
研究開発職を目指す人へのメッセージ
── 大学にも籍を置き、子育てもされ、企業内でも部長にまで昇進された秘訣を教えてください。
私が仕事をする上で心掛けていることは3つあります。
一つ目は、「気が利くこと」です。気が利くとは、想像力をもてるということです。相手がしてほしいと思っていること、自分が何かした行為に対してどういった反応が返ってくるかを想像できる力です。様々な立場の人と協力して物を作る過程では、時には丁々発止の交渉が必要になることもあります。その際にも、相手に対しての理解、自分がする行為の結果について想像力を働かせることで、スムーズにものごとが進められます。
二つ目は、「思考に限界を置かないこと」です。「私はこっち側の人間だから」と区切りやリミットを置いてしまったら、そこで思考停止です。企業かアカデミアかといった枠組みに縛られず、自分ならどういうアプローチで、どういうフィールドで貢献できるかを考えるべきです。私たちは、今までできなかったものを作れるようにすること、それを社会の役に立てることを目指しているのですから、思考に限界を置かないことがとても大事です。
三つ目は、「自分が所属している組織を愛していること、理解していること」です。自分の会社やチームを大事に思い、そのために何をしたらいいかを常に考えること、そのことこそが良い製品づくりにつながります。また、権利と義務は背中合わせです。与えられたチャンス、ポストで求められていることは何か、正確にとらえ、どういうアウトプットを出すのかが次の未来の自分につながっていきます。
── 研究開発職を目指す後進に向けて応援メッセージをお願いします。
キャリアの選択においては、「受験」「就活」「婚活」「妊活」…など世の中にある情報やマニュアルに振り回されすぎないでください。情報通りに活動することが「良い会社」への就職につながるとは限りません。周りの情報に従ってばかりではなく、唯一無二のあなたを大切に、自分が何をしたいか、どう貢献したいかを深く考えることが重要です。研究開発者はオリジナリティが大切です。自分を信じて、決して誰かのコピーにはならないでください。
伊藤恵利(いとう えり)
1992年、名古屋工業大学工学部材料工学科卒業。工学博士。メニコン入社。総合研究所配属。以降高分子科学を専門に、メディカルデバイス用ポリマー材料の研究開発に従事。2013年、名古屋工業大学大学院物質工学専攻博士課程(後期)修了。工学博士。2016年、広報部門に異動。名古屋工業大学特任准教授併任。2024年、メニコン共創戦略部長を努めつつ、東北大学グリーン未来創造機構特任教授に就任。企業と大学での研究を続けながら理想のコンタクトレンズの設計を目指す。
株式会社メニコン
https://www.menicon.co.jp
株式会社メニコン 新卒採用サイト
https://www.i-note.jp/menicon/recruit/index.html
メニコン×東北大学 みる未来のための共創研究所
https://www.ggi.tohoku.ac.jp/greenxtech/mfd-lab/
※所属や肩書などはすべて掲載当時の情報です。
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