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理学博士KOTORAのキャリア相談室:博士課程中退からの逆転キャリア~安定とは何かを考える~

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こんにちは。理学博士でキャリアコンサルタントのKOTORAです。今回は、博士課程を中退しながらも一歩一歩歩みを進め、メーカーの正社員となった方のお話です。

 


キャリア支援をしていると、しばしば「安定しているから正社員がいい」という人に出会います。ポスドクや有期雇用の准教等から企業への転職を希望する人からも言われることの多い言葉。期間に定めのある立場で働くことに不安を感じる気持ちはよく理解できるのですが、期間に定めのない正社員で就職できれば安定、というのは本当でしょうか。正社員にこだわって探すあまり無職の期間が長くなっている状況は安定からは程遠いように感じますし、むしろ雇用形態にとらわれず、間を空けずに働いている人の方が安定しているようにも見えます。では、自分から辞めなければ安定して働けるでしょうか。辞めるつもりはなくても、体調や家族の事情で辞めざるを得なくなる人もいます。社会の変化のスピードが早く、振れ幅も大きい今、事業譲渡や早期退職者募集のニュースを聞くことも日常的になりました。こんな時代に安定して働く、とはどういうことか考えてみたいと思います。

 

ある博士課程中退者の軌跡

安定して働くために何が必要かというのはとても難しいテーマで、そもそも「安定」がどういう状態を指すのか人によって異なるでしょうし、それを実現する方法についても正解がない、もしくはたくさんの正解(やり方や考え方)があると言えます。そんな「安定」を考えるきっかけとして今回は大学院博士課程を中退したAさんのキャリアをご紹介したいと思います。

過去に私がいたチームで事務アシスタントをしてくれたAさん。人材会社へ相談に来たときには具体的に将来を思い描ける状況ではなく、自分にできる仕事はあるのだろうか、と不安な様子でした。いくつかのステップアップを経て、今はメーカーで検査業務に従事しています(記事で扱うことについてはご本人に了承いただいていますが、個人を特定されないように少し状況を変えています)。

Aさんは相談に来た当時は20代後半でした。指導教官との関係がうまくいかず、博士課程の途中で学位取得を諦めて単位取得退学を決めていました。経済的事情からすぐに働き始めたいとのこと。そして「安定しているから正社員で働きたい」という希望がありました。その一方で企業で働いた経験がまったくなく「自分にできる仕事はあるのだろうか」という不安と「自分にできることならなんでもやってみたい」という前向きな気持ちがありました。正社員就業の希望はあるものの具体的にやりたい仕事のイメージがなく、電話応対や名刺交換等の基本的なビジネスマナーを知らず、専門分野に近い求人はほとんどない・・・という状況のAさんが応募できる正社員求人を探すのは困難でした。ちょうど私のいた理系人材のキャリア支援をするチームで事務アシスタントの募集があったので、そこで働いてみてはどうかと提案しました。1年未満の契約社員としての採用でしたが、企業で働く経験を積んでビジネスマナーの基本をしっかり身につけながら、求人の多い4月を待って正社員就業を目指すというプランです。Aさんは提案を持ち帰って検討してから、正式に応募してくれて期間限定の契約社員として働き始めました。

対応する業務は、オフィスにかかってきた電話を取る、営業に同行して企業担当者と名刺交換して打ち合わせをする、チーム内で必要なデータをとりまとめて会議資料を作る、会議に出る、という企業で働けば誰もが経験することばかり。でも、すべてAさんにとっては初めての経験。企業で働いた経験が皆無だったからこそ、企業で働く上での基本を身につけることに意義がありました。Aさんの専門は植物。分子生物学の知識・経験はありましたが、医薬品の開発など企業で要望の多い動物細胞の取り扱いや生体試料の分析などの経験はありませんでした。企業の求める知識や経験に専門分野が近ければ、企業経験がなくても応募できる正社員求人はありますが、専門分野が遠くなると企業経験など別の武器が必要になってきます。そのため、Aさんは企業で働く上での基本のスキルを即戦力として磨こうと考えました。中途採用は経験者・即戦力が基本。求人内容と経験が完全に一致している必要はありませんが、入社してすぐに業務に入れる状態を求められます。専門分野は少々教えてもらう必要があっても、企業で働く際に必要な基本的なビジネスマナーや書類作成のスキルは身についています、という状態を目指しました。

また、理系人材のキャリア支援業務に従事することでAさんは理系人材向けの多種多様な求人の存在を知ります。植物にかかわる求人が少ないことは知っていましたが、自分が応募できる求人が研究開発や検査測定等の理系業務全般に広がっていることはあまり認識していませんでした。大学院での経験からさほど時間が経っていない状況であれば、大学院中退であっても自身の専門とは異なる分野の求人に応募できます。専門分野を狭く限定するのではなく、理系という大きなくくりの中に仕事の広がりがあることを知ったのです。さらに、多くの求職者にとって希望がすべて叶う求人はとても少ないこと、そのため条件面にこだわりすぎて転職がうまくいかない人がたくさんいることも目の当たりにしました。この経験はAさんのその後のキャリア選択に大きな影響があったと聞いています。

 

初めての正社員、初めての実験業務

Aさんは事務アシスタント業務に従事し、多くの理系求人を見たことで、自分にできることならなんでもやってみたいという漠然とした希望から、分野が異なっても構わないから検査等の実験業務に携わっていきたいという希望が明確になりました。そして契約期間終了とともに従業員50名以下の小さい受託検査会社に正社員として就職を決め、バイオ系の検査業務に従事し始めました。念願の正社員でしたが裁量労働制で年収は300万円を切る状態、決して良い待遇とは言えない条件でした。それでも、初めての正社員、初めての実験業務。将来にわたって実験業務で働いていきたいという希望を固めたAさんのキャリアにとって大きな力になる仕事でした。先方企業からするとAさんは基本のビジネスマナーを身につけているので電話応対、資料作成など社内での雑多な業務に即戦力として対応でき、大学院で分子生物学の基礎を身につけているので検査業務は教えればすぐに覚えられるだろうと考えての採用。小さい会社でなかなか良い人を採用できなかったそうで、とても良いご縁となりました。Aさんはここで数年経験を積み現場でリーダーになります。メインの検査業務だけでなく、顧客対応や新しく入社した社員の教育、他のチームとの連携、アルバイトやパート社員の労務管理など、経験業務の幅を大きく広げました。

やりがいをもって仕事に打ち込んでいましたが、会社の規模的にこれ以上の待遇アップが見込めないことや、メーカーで働いてみたいという希望を叶えるために転職活動を開始。働きながらの転職活動は半年以上の長期戦となりましたが、終盤で2社から同時に内定をもらいます。いずれも年収は倍近くにアップする待遇。Aさんはメーカーでの正社員を希望していたのですが、メーカーからの内定は契約社員。ただし正社員登用制度があり過去に登用実績が多数あるとのことでした。もう1社はメーカーでの内定が取れなかった場合に備えて受けていた大手受託検査会社で正社員の提示。将来的にはプロジェクトを任せたいという責任者候補としての内定でした。希望とは少しずつ違うけれど、それぞれに魅力的な2つの内定通知を前にどちらへ行くか深く悩んだAさん。30代半ばになり今回の転職を最後にしたいと考えた結果、メーカーでのバイオ製品の検査業務(契約社員)に転職を決めました。そして、転職からまだ1年経っていないにもかかわらず仕事ぶりが評価され、無事に正社員登用が決まったとの連絡がありました。

 

キャリアを柔軟に考える

Aさんのキャリアの選択をどのように感じましたか?私はとても強く安定したキャリアを築ける人だと感じます。Aさんのキャリアのポイントは状況を見てキャリアを柔軟に考えていること、もっと言えば、理想的ではない状況でのベストな選択を考えていることだと思います。現職を継続するか退職するか、転職でどんな仕事を選ぶか、選択の局面では必ずしも希望が叶う満点の選択肢ばかりではありません。むしろ少しずつ不足のある選択肢しかないということの方が多いでしょう。そんな時、状況を見て、自身の経験や将来の可能性を考えて、ベストな選択は何かを考えて選び取れる人はとても強い。安定して働いていくことができる人だと思います。

本当は正社員がいいけれど自分には難しいと考えて、まずは企業で契約社員で働いて社会人として必要な経験を身につけようと決めた最初の選択。実験業務に携わりたいと考えて、待遇はよくないけれど正社員で検査業務に従事することを決めた選択。経済的に厳しい状況のままスキルや経験を広げた(つまり担当業務や担う責任が増えた)数年間を辞めずに踏みとどまった選択。そして契約社員だけどメーカーでの検査業務に挑戦したいと考えて決めた選択。どのタイミングでも決して理想的な選択肢ではなかったと思います。理想的ではない選択肢を選ぶことには勇気がいります。それでも手元にある選択肢の中からベストな道を選び、今につながっているということが振り返れば明らかなのです。

自分の状況を客観的にとらえ、柔軟に考えて判断し、そのときできることに懸命に取り組み、対応可能な業務の幅を広げてきたAさん。企業で働き始めてまだ5年前後ですが、企業で働く上での基本のスキルを身につけるところから始まってリーダー経験まで積んで、着実にスキルアップしています。もし将来、例えば異動で別の業務をすることになっても、例えば何かの事情で転職しなければならないことになっても、Aさんはその時々の状況を見てベストな選択をしていけるでしょう。

キャリアには正解がないので、安定だけが良いことだとは思いません。ただ、安定を求める人がとても多いので、私が「安定して強いキャリアを築いている」と思うAさんのキャリアについてご紹介しました。きっと他にもいろいろなやり方や考え方があると思います。漠然と「安定して働きたい」と考えている人は、自分にとって安定して働くとはどういう状態のことか、具体的に考えて言葉にしてみてください。変化の大きい今、安定して働くことは容易なことではありません。備えあれば憂いなし、と言えるほどの備えをすることは難しいかもしれませんが、どういう状況になっても自分のキャリアを作るのは自分しかいないのですから、ぜひ一度自分のキャリアに向き合って考える時間をとってみてほしいと思います。

著者プロフィール:

KOTORA

キャリアコンサルタント。博士(理学)。生物系で博士号取得後、ポスドク、大学非常勤講師などの職を経てから民間企業の非研究職へキャリアチェンジし、人材会社の中の人10年超。主に理系求職者のキャリア相談・求人紹介を担当。現在はメーカー人事に勤務。これまでに自身も派遣社員・契約社員・正社員と多様な雇用形態を経験し、担当した業務は大学での生物学の講義・実験補助・就活生向けキャリアセミナー、人材会社でのキャリアアドバイザー・人材育成など幅広い。「人材会社の中の人」「人材サービスの利用者」の両方の立場を経験した人として、文系理系問わずキャリア選択をサポートする活動をしている。 twitter:@KOTORA_CC

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