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マイクロバイオームとは

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マイクロバイオームとは

地球上のさまざまな場所には膨大な種類・量の微生物(細菌、真菌、ウイルスなど)の集団が存在します。そのような微生物集団のことを微生物叢(びせいぶつそう)と呼びます。マイクロバイオームは微生物叢が全体として持っている「遺伝子」や「機能」を指して用いられる用語です。微生物の「種類」や「名称」を指す場合は、マイクロバイオータという用語が使われています。

ヒトの口、耳、鼻、呼吸器、消化管、皮ふ、生殖器といった場所には多くの常在菌が存在し、微生物叢を形成しています。消化管の一部である腸内の微生物叢(腸内フローラとも呼ばれます)だけとっても約1000種類の微生物が約100兆個存在し、重量にすると約1〜1.5kgになると言われています。そこには約50万もの遺伝子が含まれており、約2万とされているヒトの遺伝子数の25倍にもなります。これらのヒトの微生物叢を対象としたヒトマイクロバイオーム研究は世界中で盛んに進められ、腸内細菌叢が栄養供給、免疫系や代謝系の調節など、体内でさまざまな役割を担っていることを示唆する研究成果が得られています。

マイクロバイオーム研究の始まり

17世紀後半にレーウェンフック(Leeuwenhoek)が自作の顕微鏡を使って初めて微生物の観察に成功しました。そこから時を経て、19世紀後半には炭疽菌、コレラ菌、赤痢菌、チフス菌などの病原体が次々と発見されます。細菌叢に注目した研究者として、19世紀末に活動したイリア・メチニコフ(Ilya Mechnikov)が知られています。当時南フランスを中心にコレラが流行していました。メチニコフはコレラに対する感染のしやすさに個人差があることに気づき、それは腸内細菌の違いなのではないかと考えました。腸内にいる細菌と外来のコレラ菌が競合し増殖に影響を及ぼしたのではないかという考えです。また、メチニコフはブルガリアの住民に長寿者が多いことから、この地方の人が常食しているヨーグルトに含まれる乳酸菌が、腸内細菌による毒素の産生を抑え、健康向上につながることを見いだしました。

その後、腸内細菌叢の本格的な研究は1950年代に始まります。当時の研究は個々の菌培養を基本とするもので、その培養技術の開発には光岡知足(みつおかともたり)を始めとした日本の細菌学者が貢献しました。しかし、腸内細菌の多くは培養が難しい難培養性菌だったため、細菌叢の全体像を解析するには至りませんでした。DNAを増幅するPCR法が登場した1980年代になると、個別の菌培養に依存しない研究方法が導入されます。菌ごとに特異性がある遺伝子配列をPCRで増幅し、配列を解析することにより、その環境に存在する細菌を予想できるようになったのです。

1998年にはサンプル中の全細菌集団からDNAを抽出し細菌叢に含まれる全ての細菌のゲノム塩基配列を解析する、メタゲノム解析が提唱されます。この解析は2005年に登場した次世代シーケンサー(NGS)の圧倒的な解析速度の向上により、急速に発展していきました。個々の菌の培養から全体像に迫る従来のボトムアップ型の研究ではなく、NGSを使ったメタゲノム解析により細菌叢の全体像から研究するトップダウン型のマイクロバイオーム研究が確立されたのです。

各国で進められたヒトマイクロバイオーム研究プロジェクト

NGSの登場から程なくして、各国でヒトマイクロバイオーム研究プロジェクトが立ち上がります。2007年には米国でHuman Microbiome Projectが開始されました。翌年には欧州を中心としたMetaHIT(Metagenomics of the Human Intestinal Tract)プロジェクトもスタートします。国際協力の取り組みとして、一定の基準、条件下でデータ取得を行い、共通データベースを構築し研究の効率を高めることを目的としたInternational Human Microbiome Consortium(IHMC)の設立も2007年のことでした。これらの研究プロジェクトでは、成人健常者が持つマイクロバイオームの解析によりデータベースの作成が進められました。研究が進むにつれヒトマイクロバイオームは国ごとの違いが大きいことが分かり、各国が独自に自国民のマイクロバイオーム研究に取り組む重要性が明らかとなりました。日本では、米国、欧州から遅れて2016年に、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST、PRIME)において「微生物叢と宿主の相互作用・共生の理解と、それに基づく疾患発症のメカニズム解明」という研究プロジェクトが始まりました。

<上記3つのプロジェクトの紹介>

Human Microbiome Project:
アメリカ国立衛生研究所が主導した総額約2億ドル、8カ年計画のプロジェクトです。第一期(2008 〜2013)では成人健常者300名から採取したサンプルに対するマイクロバイオーム解析が行われました。このとき、男性は15部位、女性は18部位からサンプルを採取しています。その結果、マイクロバイオームに含まれる約500万個の遺伝子が今後の研究に役立つ形でカタログ化されました。第二期(2014〜2016)には、第一期のデータを基に、潰瘍性大腸炎、食道腺がん、肥満などのさまざまな疾病に関連したマイクロバイオームの解析が進められました。

MetaHIT:
2120万ユーロが投資された、4年半に渡るプロジェクト(2008〜2012)です。欧州と中国の協力体制のもと、8カ国、14研究・産業機関からの50名以上の研究者が参加したコンソーシアムにより推進されました。腸内細菌叢に関する研究が行われ、124名の欧州人からの糞便DNAサンプルを解析し、330万個の遺伝子カタログを作成しました。MetaHITはフランス政府によってサポートされるMetaGenoPolisプログラム(2012〜2019)に引き継がれ、健康と疾患に関するマイクロバイオーム解析が行われました。

微生物叢と宿主の相互作用・共生の理解と、それに基づく疾患発症のメカニズム解明
解析拠点の1つである医薬基盤・健康・栄養研究所において、独自に立ち上げた複数のコホートを対象とした研究で、3000名以上の成人健常者を対象にマイクロバイオーム解析が行われ、健康診断データや疾患歴、食事や身体活動などの生活習慣、メタボローム、サイトカインなどのデータが付随したデータベース構築が進められました。

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マイクロバイオーム研究から分かってきたこと

世界的なヒトマイクロバイオーム研究の発展によりさまざまなことが明らかになってきました。ここではいくつかの研究成果を紹介します。

ヒトマイクロバイオームの菌種組成の多様性:

ヒトが持つ常在菌叢には個人差が大きいことが分かってきました。日本人同士で比較しても個人差がありますが、その違いは国が異なるとさらに大きくなります。食文化の違いに起因すると考えられる違いも見いだされています。ノリやワカメなどに含まれる多糖類を分解する酵素として、海洋性細菌が持つポルフィラナーゼが知られており、他の細菌は通常この酵素を持っていません。しかし、日本人の腸内細菌はポルフィラナーゼを持っていることが分かりました。これは海洋性細菌が持つポルフィラナーゼ酵素の遺伝子のDNA配列が腸内細菌のDNAへと挿入される水平伝播が起きたと考えられています。このポルフィラナーゼの保有状況を調べたところ日本人の90%は保有し、欧米人では3%しか保有していませんでした。この背景には、生魚や海産物を多く摂取する日本人の食文化が影響していると考えられています。

腸内細菌叢と疾患の関係:

腸内細菌叢の変容とさまざまな疾患が関係していることが分かってきています。下記に示すような疾患を持つ患者の腸内細菌叢の組成は健常者と大きく異なっています。このような変容は、疾患による結果というよりも腸内細菌叢の変容が疾患の原因となっているという報告もされています。

<腸内細菌叢の変容と関連する疾患>

(代謝系疾患)
肥満、糖尿病、メタボリックシンドローム、腎不全、心不全

(免疫・炎症系疾患)
炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、関節リウマチ、動脈硬化症、アレルギー

(神経・精神疾患)
自閉症スペクトラム障害、多発性硬化症、認知症、パーキンソン病

(消化器系疾患)
大腸がん、肝がん、肝炎

腸内細菌叢が身体に与える影響:

腸内細菌叢が身体に与える影響についての研究も進められています。肥満者の腸内細菌を無菌マウスに移植するとそのマウスは肥満となり、腸内細菌叢の組成も健康なマウスとは異なるものになりました。マラソン選手を対象にした研究では、マラソン後に増加するVeillonella属の菌をマウスに取り込ませたところ、運動により生じた乳酸からVeillonella属菌がプロピオン酸という有機化合物をつくり出すことがわかりました。そしてそのプロピオン酸が運動パフォーマンスの向上につながることが示唆されました。

腸内細菌叢が宿主であるヒトに対して強力な生理作用を持っていることから、便を移植することで腸内細菌叢を変容させて疾患を治療することを目指す、便微生物移植治療(FMT)の検討が世界的に進められています。

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まとめ

NGSの開発とそれに伴うメタゲノム解析により、世界中でさまざまなマイクロバイオーム研究が行われてきました。その結果、これまで知られていなかった微生物細菌叢とヒトの関係が明らかになってきています。これらの研究成果を応用するベンチャー企業も誕生しています。慶應義塾大学の本田賢也教授は炎症性腸疾患の治療技術として有用な17種類の細菌群の同定に成功し特許化、2011年に米国でVedanta Biosciences社を設立しました。Vedanta Biosciences社は、Johnson&Johnson社傘下のJanssen Biotech社と2.41億ドルで前臨床段階の腸内菌製剤の開発・販売権供与の契約を結んだことで世界的に注目されました。日本国内でも山形県の鶴岡市に慶應義塾大学の福田真嗣特任准教授が「便から生み出す健康社会」をミッションに掲げ、腸内細菌に関わるサービスを提供するメタジェン社を2015年に設立しています。

基礎研究から応用に広がりつつあるマイクロバイオーム研究は今後ますます私たちの健康な生活を支える大きな成果をもたらしてくれるかもしれません。

記事執筆:吉田拓実(東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了 博士(農学)/ 再考編集室 編集記者 / さいこうファーム 農場長)

リケラボ編集部

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